よみタイム

            2005.12.02.

 

日本クラブ百周年記念

宮本亜門・汪蕪生、それぞれの芸術を語る

「太平洋序曲」などの演出家、振付師として活躍する宮本亜門氏と、写真家の汪蕪生(ワン・ウーシェン)氏との対談が11月28日正午から日本クラブのローズルームで開催された。日本クラブ100周年記念事業の一貫で、安藤裕康・ニューヨーク総領事館大使、桜井本篤・日本商工会議所会頭など約80人が集まった。

冒頭、狩野務・日本クラブ専務理事から「宮本さんは司会もプロ」の話が出たこともあり、宮本氏が聞き手に回り、汪氏が「芸術の心」を語る運びとなった。

汪氏は「我が家の歴史は20世紀の中国の歴史」というほど、両親は文化大革命の中、波乱万丈の人生を歩んだ。特に母親は当時として希な女性解放運動の活動家だった。「でも、私の原点は両親にあるし、父は魯迅と同じ学校で芸術に造詣が深かった」と話す。

文化大革命の時、汪さんは安徽師範大学物理学科の大学生。「好きな子が物理を専攻してたので選んだまで」とジョークを飛ばす。しかし、ダンス、バイオリン、美術、演劇など芸術に大きな興味を持っていた。大学卒業後、新聞社のカメラマンとして入社。彼の人生が大きく変わった。

仕事で中国の名山、黄山の朝日を撮りに出かけて頂点に立った瞬間、大きな衝撃が走った。「宇宙なんですね。幻想的な世界が無限に広がった」と当時の感動を思いを込めて話す。「手を伸ばすと、触れる感じなんです。黄山を見ていると人間は小さいものと思います」。

その後、黄山に魅せられ30年も取り続けている。汪さんは大の高所恐怖症。ちょっと高い所でも足がすくむ。しかし、黄山だけは別。三脚を立てるのは、数百メートルという絶壁のすぐ手前。そこにいすを持ってきてファインダーを覗く。ひとつ間違えれば岸壁へ。そこに何時間も座っている。「黄山は大丈夫なんです」と笑って見せた。

汪さんの作品は12月20日から国連発足60周年を記念して東山魁夷画伯とともに「国連展」に出展される。

「『写真』は真実を写す、と書きます。まさにそうなんですね。ファインダーを覗いて何時間も何日も、何週間も狙いものが来るまで待ちます」。

しかし、宮本氏は「汪さんの仕事はここからなんですよね」というと間断を入れず、「写真を撮るのは全体の3分の1、暗室での仕事が3分の2です」。

「自分が感じたものを選ぶのは大変なんです。何百枚もプリントしてその中から1枚を選び出すんです」。

日本に24年間住んでいる。「東洋は曖昧文化。日本の節度という言葉があります。抽象的だが、私は抽象と具象の間がいいですね。実存の中にも工夫した自分の心情が入っているものを最高の作品だと思っています」と話した。

宮本氏はほとんど聞き手に回ったが、最後に30代の時に作った「アジアの3部作」が大不評を買った時のことに触れ「あれはショックでしたけど、隣の国のことを知るのにいい勉強になりました」と、当時を振り返った。