読売新聞

            2005.04.18.

 

世界から◆中国

黄山追う写真家

魂震わす絶景に魅入られ

壮大な雲海から突き出す雄々しい峰々。岩肌を飾る松と石柱。天下の名山・黄山は、幽玄という言葉そのものの、神秘的な絶景で見るものを魅了してやまない。

この奇観は、約2億年前の地殻変動でできたという。黄山は1つの山ではなく、南北約40キロ、東西約30キロに花崗岩の72峰がきつ立する。最高峰「蓮花峰」は標高1873メートル。古今、数々の詩歌や絵画の題材となり、1990年にはユネスコの世界文化・自然複合遺産に登録された。昨年は海外20万人を含む延べ820万人の旅行客が訪ねたという、一大観光地でもある。
「一生通い続けたとしても、飽きるということはない」。

万博の安徽省ウイーク(5日ー11日)のために来日した黄山市旅行局の章徳輝・副局長は言う。春の花から冬の雪まで、四季折々の美しさがあるという。

黄山の映像は、万博会場「グローバル・ハウス」の超ワイドスクリーンも見ることができる。ソニーPCL制作の作品で、黄山が映るのはわずか数十秒。それでも、撮影チームは一ヶ月以上黄山の宿に泊り込み、雲と山々とが絶妙のハーモニーを奏でる瞬間を待ち続けたという。

この撮影には、安徽省出身で東京在住の汪蕪生さん(59)がディレクターとして参加した。汪さんは20歳代から撮り続けた黄山の写真で、世界的に注目されている写真家だ。

「山頂に立つと、魂が震撼していた1974年春、小さなライカのカメラを手に初めて黄山に登った。ただ一人、静寂の中で雲海を見下ろすと、壮大な宇宙に吸い込まれていくような感覚に襲われ、人間のちっぽけさを思い知らされた。

「この感動を表現することこそ、私が人生をかけてやるべきことだ」。以来、黄山をシャッターに納めることで頭がいっぱいに。
だが当時、中国のカメラマンは規制ばかり。上司が認めなければ、フィルムももらえなかった。理由をつけては黄山に通い、81年に中国で写真集を出したが、限界を感じ、同年、日本にいた兄を頼って来日した。

働きながら日本語学校に通う苦闘の日々を経て、88年に東京で「黄山」の個展を開催。これがあたって、その後は世界の有名美術館に招かれるようになる。

今も、撮影対象はあくまでも黄山だ。「その魅力を表現するのに、『これで十分』ということはない」と汪さんは言う。

(国際部  角谷 志保美)