ARK HILLSLIFE VOL.37

            2000.06.01.


アーク人登場

「人々に感動を与えられること。
かつて同じものがないこと。
                          それが僕の考える素晴しい芸術と呼べるものの基準。
                             人生は短い、だからそれを懸命に追い求めていきたい」。

 

前号でもこ紹介したアークタワーズ在住のフォ卜・アーティス卜、汪蕪生(ワン.ウーシェン)さん。欧州三大美術館のひとつ、ウィーン美術史博物館でのはじめての現存芸術家の個展、はじめての写真展、しかも東洋人の作品が紹介されるのもはじめて、というはじめてづくしの快挙を成し遂げ注目されたその作品群をー堂に展示し、さらにヨーロッパの旅で出会った美しい風景写真を加え開催されている東京都写真美術館での写真展は、いよいよ6/18(日)まで。今回は、氏のこれまでの歩みや写真論についてご紹介しましょう。

――写真と出逢ったのはいつ頃ですか?これまでの道のりを教えてください。

子供の頃から父のカメラをいじったり、押し入れにこもって暗窒作業をやったりもしていましたが、それよりむしろ音楽とか、舞踊とか、美術や演劇に夢中だったんです。とにかく芸術といわれる分野に心惹かれていました。けれども高校2年の時に好きだった演劇仲間の女の子が理系の大学に進路を取ったので、僕もそれにあわせるように大学の物理の道に進んでしまったんです(笑)。中国では大学に進む、イコール生涯の生活が保障されるという図式がありましたしね。でも決められたレールの上に乗っかって、大好きな芸術の道を捨てるのはつらすぎる。自分の進むべき道はこれじゃないって、卒業後は少しでも芸術に近い分野で生きていきたいと、有線放送局や地元の文化会館に勤めたり・・・・・・と軌道修正をつづけました。その結果、ようやく新聞社のカメラマンの職にたどり着いたんです。絵画がとても好きだったし、考えてみれば写真も平面上の視学的芸術だから、よしこれを生涯の仕事にしようと考え、8年勤めました。けれどもそこには時間などの自由は、やっぱりなかった。ただ仕事関係の写真を撮る毎日で、ずっとジレンマを感じていました。そのあと日本に来たのは、自由な時間と充分な機材などを求めるなら外国しかないと思ったことからです。いろいろな制約を振り払って、撮りたいものを撮りたいままに自由に表現しえる場を求めてー大決心したわけです。日本では、日本国際交流基金研究所として日本大学芸術研修所で研修を受けたのを皮切りに、東京芸術大学に籍を置いたりしながら貪欲に写真を研究しました。

――汪さんにとって、黄山とは、写真とは?

芸術家にとって、永遠のテーマ、モチーフを見つけることは重要なポイントだと思います。私は自然が生んだ偉大な芸術品と言える黄山に心から惹きつけられていきましたが、千年以上も前から高名な詩人や画家、カメラマンたちが黄山に取り組むテーマ、被写体として黄山を選び、かつ傑出した作品を打ち出していくというのは、どう考えても危険な賭けでした。愚かな選択だと言えなくもない。けれども、とにかく惹かれた。とりつかれるようにほぼ1年間こもったこともありました。

いま、東京写真美術館でご覧いただいている水墨画のような表現方法は最初から試みていたんですけど、当初は山肌が全く見えない、素晴らしい自然の景観がもつディテイルが表現できなければ写真である意味がない、と仲間たちからの評価は本当にさんざんなものでした。

それから10年、やはり山をテーマにした作品を多く遺したアメリカンのアンセル−アダムスをはじめ、世界の巨匠たちの作品を研究したり、さまざまな模索をつづけましたが、結局たどり着いたのは、感性のおもむくままに撮った初期のスタイルだったんです。著名な写真家の作風の真似をしてみたりもしたけれど、自分らしさからどんどん遠ざかっていきますし、絶対に模倣の域を超えることはできない。知識の積み重ねは確かに人間を利口にしたり、器用にしたりするけれども、本来もっている本能や美意識、感性や感覚を台無しにしてしまう危険もありますね。10年間の模索を経て、感じたままに撮り、その感動を人々にダイレクに届けられれば、という結論に行き着いたわけです。写真展の会期も残すところあとわずかですが、私が魅了された黄山の素晴らしさを皆さんにそのまま伝えることができたら、これに勝る幸せはありません。

――今後は、どのような作家活動をつづけていかれるのですか?

ドキユメンタリーも、ポートレー卜も撮りたい写真のジャンルは山ほどあります。でもいましばらくは、自然をモチーフにしてやっていきたいですね。第2のふるさとである日本の各地をまわって、さらにヨーロッパへも行きたい。それと世界中の建築物にもとても興味があります。 古い民家などを訪ね歩きたいですね。そこはかとなく人の匂いがして、言いしれぬ懐かしさを漂わせたような民家です。時代がものすごいスピードで移り変わっていくなかで、新しいものこそが索晴らしいという風潮が根づきはじめていますけど、人々が積み重ねてきた古いもの、長い歴史や文化によって育まれてきたものに僕はレンズを向けつづけていきたい。人生は短い。命ある限り、写真という名のアートに懸命に取り組んでいきたいと思っています。