《ウイーン日報WIENER ZEITUNG》

            1998.07.01.



雲霧たなびく天上の山々

ウイーン・ハラッハ宮殿での汪蕪生写真展


中国に生まれ、日本を中心に活躍している、著名な写真家である汪蕪生氏は、ウオルフガング・ダンクの推薦を受けて、初めてヨーロッパに渡り、オーストリアのクレムス美術館で開催された『荘重な山々』展覧会に作品5点を出品した。展覧会場で氏の写真作品を目にしたウィーン美術史博物館のサイペル館長は、1998年5月19日から8月9日の間、ウィーンのハラッハ宮殿でこの中国安徽省出身の写真家の個展を開催することをその場で決定した。こうして汪蕪生氏の撮影した作品が、ウィーン美術史博物館においで、ドイツロマン派の巨匠、キャスーパ・デビッド・フリードリヒの歴史に残る名作と並んでその芸術的輝きを披露することとなったのである。

汪蕪生氏はもともと中国では物理を専攻し、芸術系の大学で専門に学んだ経歴はないが、自らフリーの写真家の道に進むことを決意したという。彼は中国の伝統的な絵画芸術を手本としつつ、道を摸索していたが、その後一年間アメリカに留学した際に見たアンセル・アダムスの写真に大きなショックを受け、1974年から黄山を題材とした『天上の山々』シリーズの撮影を開始したその多くがモノクロ写真であるため、作者は自らの作品のイメージを『山水写真』と称している。

故郷・中国での暮らしの中で、汪氏の抑えがたいほどの創作に対する激情と類のない芸術的思考は、当時まだ改革開放前だった中国の社会と衝突し、あふれるばかりの情熱は受け入れる場を得られず、汪氏は為すすべもないままいわゆる『政治姿勢に問題あり』のレッテルを貼られた上、さらに―時は『反革命分子』の罪名をも着せられた。自ら言うように『生活と現実の折り合いがつかなくなった汪氏は、改めて道教や仏教の持つ伝統的な精神へと回帰し、そのエッセンスをくみ取り、そこから汎神論的な宇宙観を形成していったのである。その時、氏の目には、山の峰一つひとつがわき上がる雲海とたれ込める霧によって作り上けられた神々の楽園のように映ったという。氏はこうした伝統的かつ神秘的な方法によって、人類(洋の東西を問わず)に工業化ばかりを追求して大自然を破壊してはならないと警告を発すると同時に、自らの作品によって人々の純粋で真実なるものへの渇望を改めて喚起したのである。

まさに気功で「気を収め功を積む」のと同じように、汪蕪生氏は1枚の作品を撮るために忍耐強く最高の角度と最高の時間帯を選び、東洋的思考で言うところの陰陽が相交わる境地を捉えて、あたかも神聖な使命を遂行するかのごとくシャッターを押してゆく。雲と霧とが縹渺と重なり、遠景が果てしなく連なるその優れた作品は、見る者にキャスバー・デビッド・フリードリヒの絵画を思い起こさせ、まるで自らが雲海の上にゆっくりと歩いているかのようなロマンチックな気分に浸らせる。足を止めて凝視すれば、その絵画からは詩を吟じる抑揚に富んだ優美な旋律が聞こえてくるかのようで、その余韻の尽きない幽玄な音色は、天上の世界にこそ存在しうるものに間違いない。

東洋と西洋の哲学や芸術には多くの相違点があるが、氏の作品にはそれらの調和と融合が感じられる。汪蕪生氏が1974年から撮り続けている大型作品群『天上の山々』シリーズは、人々にバネット・ニューマンを代表とする抽象派表現主義の至上主義理論を連想させるものである。さらにその独自の手法を作品の中に存分に発揮せんとする時、氏は精神を集中させて『気場』を創り出し、その中で自らの魂を自由自在に解き放つ。我々西洋人がこうした『気場』の存在を初めて知ったのは、ドイツの芸術家ヨゼフ・バウアースのシャーマニズムを描いた作品によってであった。