《フオト》(時事画報社刊)

               1994.04.01

「PORTAIT」


汪蕪生 氏

 

写真家。中国安徽省蕪湖市生まれ。安徽省新聞図片社等のカメラマンを経て、74年より黄山の撮影を始める。81年に来日、日本大学芸術研究所、東京芸術大学等で研修。写真集刊行、写真展開催など積極的に活動中。現在、東京在住。

  それはまさに、霞を食べて生きているという仙人の住んでいそうな風景だった。幻の風景と思いがちな山水画の世界が、モノクロの静寂さと、被写体そのもののもつ迫力とで、写真として見事に表現された汪蕪生氏の世界。その舞台は、中国の東南部、安徽省にある黄山。氷河時代の浸食作用による切り立った峰々や老松、幻想的な霧や雲海の景勝美は、仙境と呼ぶにふさわしい。

「黄山は中国の人々の憧れの山ともいえます。ですから、これまでにもたくさんの芸術家たちかこの山を描き、写真家の作品も多く見られます。けれども、実際に自分自身でこの山を見たとき、その自然の魅力、迫力、すばらしさは言葉で表現できないほどのもので、これまで見てきた作品では、そのすばらしさか表現しきれていない、と感じたのです」

その初めての出逢い以来二十年間、黄山に魅せられ、この山だけを撮り続けてきた汪氏。現在、ほかのものは一切撮影していないといい、その情熱の傾けようがうかかえる。「一度山に入ると何カ月も籠ったままということもあります。黄山は気象の変化の激しいところで、いつでも霧や雲か撮影に適した条件にあるとは限りません。そんなときは、シャッターチャンスをひたすら待ちます。絵を描くなら自分のイメージをいつでも絵筆に託すことができますが、写真ではそうはいきません。しかし、その風買をただ写実的に写し撮るということではなく、それはあくまでも私自身の心象風景としての表現なのです。シャッターチャンスを待つ間、大自然の中で自分自身を、自分の人生そのものを見つめているような気がします。黄山の自然の美は、まさに神の創った芸術ともいえるもので、人間の作ったものは遥か及びません。その美を一度自分の中に取り込んでから写真に表現する、これは一生をかけで取り組む仕事と思っています」

その神の創った芸術ともいえる黄山の自然か、最近、破壊されつつあるという。「ここ十年くらいの間に、山を切り拓いてホテルを造るなど、観光開発がかなり進んでいます。私はこの自然を愛する気持ちと、この美しい黄山を一人でも多くの人たちに紹介したいという気持ちからこの山を作品に撮り続けてきました。それなのに、この山の美しさか人々に受け入れられ、訪れる人が増えたことで、この自然美が破壊の危機にさらされているということに、今とても矛盾を感じています」と、汪氏は困惑の表情を浮かべた。

「物質さえあれば人間は幸せになれるものではありません。精神的なものを大切にしなければならないということに、皆、気づきはじめているはずです。それはある意味で、西洋文明もしくは近代文明の行き詰まりであり、これからは、人間と自然の調和において精神文化を発展させていく、『ポスト近代文明』の時代といえるのではないでしようか」

汪氏の遠くを見つめる表情に確信が見てとれた。

                                                                                                               撮影 六田知弘