「「THE GOLD」

                1993.08.01.

 

東洋人の感性が生んだ山水写真

 

写真は、中国・安徽省南部にそびえる黄山である。地殻変動を繰り返し、氷河時代の浸食を経て現在の形になった。1800メートルの連峰には、黄山マツの老樹が多く見られ、雲海が広がる。

「唐の時代に、詩人や画家が黄山に入るようになり、明の時代、有名の旅行作家徐霞客が紹介してから、中国人の間で広く知られるようになりました。私は小さい頃、黄山という美しい山には、たくさんの仙人が住んでいる、と聞かされていました。まさに、山水画の世界で、風景の美しさは中国一です」

汪氏が、初めて黄山に出会ったのは、1974年。

「そのころは報道写真の仕事をしていたのですが、黄山の断崖絶壁の上に座ってみると、写真を撮ることすら忘れてしまいました。まさか、こんな美しい風景がこの世に存在するとは、という強い衝撃を受けて、ただ座っているだけでした。足元から天の果てまで伸びるような大雲海。雲に浮かぶ島のような峰々。手を差し出せば、空や雲に触れるのではないか、と感じるほどでした。山を渡る風の音、風に揺れるマツ、猿の声と鳥の声。私もそんな風景の中に溶け込んだような気分になり、ただ一人で、一日中、黄山の中にいました。あの日の体験は、一生忘れられません」

汪氏の写真を初めて見た人の中には、絵と思い込む人も多いという。

「これは写真ですよ、というと、びっくりして、ルーペで見る人もいます。想像の世界にしかないような風景が、現実にあるとは思えない人が多いのでしょう」

そして、中国の山水画と比較されることもよくあるという。

「中国では、絵画と写実は姉妹芸術とか兄弟芸術といわれます。視覚芸術として共通するところが多いからでしょう。でも、山水画と私の写真は違います。似ているとすれば、それは山や自然、広くは地球や宇宙に対する思いや美意識が同じだからではないでしょうか」

雄大な中国の風景を写した汪氏の作品は、西洋の人々に驚嘆を与えている。

「西洋人と東洋人の価値観に違いがあるのではないでしょうか。西洋の人々は、自然を客観的、科学的な目で冷静に見ています、人間の隣にあるものとして。ところが、東洋人は、自然を神秘的のもの、尊敬すべきものとしてみています。人間も自然の中の一部、ということですね。この二百年ほど、世界的に西洋の価値観で動いてきました。でも、それが、少しずつ新しい方向を捜している、という時代に入ってきました。芸術、写真の分野でもそうでした。自然を客観的、冷静に撮るというのが写真の主流でした。私のやろうとしている山水写真は、自然の風景を借りて、自分の心象風景、心の中を作品にするのです」

心の中の風景。黄山に立ち、カメラを構えた汪氏は、自分でイメージした雲や霧をひたすら待つ。瞬間的に変わる目の前の風景が、自分の心の中にあるものと合致するチャンスは、数少ない。「私は、完璧主義者だから、撮影に時間がかかります。黄山とは、二十年もつきあってきましたが、まだまだ撮り終えそうにないですね」

中国から、情報の交差点である東京へと居を変え、世界の写真を世界各地へ紹介していくという。「中国では、日本のことを“扶桑の国”といいます。仙人の住む島、桃源郷、という意味です。日本を撮りたいですね。アメリカも、ヨーロッパも撮りたい」