プリンツ21

                1993.08.01.

 

東の幻想――汪蕪生

倉島紀子

 

「作品を心で観る」ということが、「頭と情報を便りに価値を見出し鑑賞する」ことに変化し、本質を見失いそうになったバブルの時代があった。その是非は別として、その時代が存在したから、芸術の価値・芸術の在り方を正しく判断していこうと、すなわち「心で感じること」が根底にあり、またその芸術の価値を認識しようという時代になった。

中国の写真芸術家・汪蕪生の「山水写真」の作品に約5年前に出会った時の感動を伝えることができたら――という素直な気持ちがひとつのエネルギーになり、93年4月東京の会場(日本橋三越本店)を皮切りに汪蕪生山水写真世界巡回展(日本各地・中国・アメリカ・ヨーロッパ他を予定)の企画及び開催する運びとなった。

汪蕪生が20年にわたり撮り続けた中国の名山・奇山の黄山への想いを含め、氏の作品には新しい試みが存在している。ひとつに西欧的発想に基づく「風景写真(写実を重視する)」の概念とは異なり、東洋の山水画の写意(心境を描く)の概念を写真という新しい手法で表現したことである。氏の内部に秘められた東洋の自然観・審美観を黄山の景観に仮託し、理想郷を写真で描き、「山水写真」とう芸術手法を生み出したのである。

もうひとつに、「写真」という存在を技術レベルの枠を超え、「写真芸術」の分野の確立をはかったことである。さらに氏は新しい試みのひとつとして「山水写真」で襖や屏風を制作し、今後はさらに多次元的に表現することへの意欲を見せている。12年前汪蕪生は身ひとつで来日。国籍の違い、言葉や経済的な苦難を乗り越えながらも芸術家として活動を続けてきた。

氏の「第二の母国の日本を拠点に世界を廻りたい」という言葉からは、その感謝の念が伝わる。また「日本が経済大国に留まらず文化大国になって欲しい」と願う気持ちは、日本に居ながらにして痛切に感じていることであろう。

ひと言「文化」といえども一夜にして成り立たず、背景には多くの時間とエネルギーの賜が存在するのである。またそれは決して汪蕪生一人で形成されるべきものでもなく、様々な角度からの支援によって培われていくのだ。

汪蕪生の芸術家としての将来性・発想に対して期待する方々が非常に多いということに驚く。ほとんどが、また無名に等しい時代からの応援者である。「山水写真」との出会いがきっかけであるというその期待に応えるべく、氏は次のテーマへの挑戦を心に決めている。写真芸術家として、また「感動の創造者」として、汪蕪生に期待している。