「気マガジン」

                1993.No92

 

中国の神仙境

黄山神韻――汪蕪生

文=日向悦子

神仙が住むと伝えられる名峯、黄山を20年撮り続けてきた汪蕪生さんは、その成果を写真集『黄山神韻』。(講談社、7500円)にまとめた。

中国には神仙が住む名峯があるという。黄山もその一つだが、その景観の素晴らしさは、文学者として名高い徐霞客が「五岳(中国の五大名山)をめぐれば他の山は皆目無聊、そしてまた、黄山に登ったあとは残る五岳も無聊」と言い切ったほど。中国山水画の故郷としても有名だ。

汪蕪生さんは黄山に魅せられ、20年近くも黄山の写真を撮り続けてき「初めて黄山に登ったとき、本当に人生観が変わるほどの衝撃を受けました。あまりにも美しい景色に魅せられて、写真をとることも忘れて、岩に座っていたんです。そのとき、私の呼吸、私の肉体、私の魂は、すべて目の前の松の木や青い空、白い雲と一体となって溶け込んでいました。宇宙は雄大で永久だと体感したのです」

それから汪さんは、黄山だけを撮りつづけてきた。まるで神の啓示のように、それが自分のライフワークだと感じたからだ。1974年から黄山の撮影を開始。写真の勉強のためと、日本の美にひかれて、1982年に来日した。それからも、アルバイトでお金をためては黄山に何カ月篭もって、撮影した。

「山は、生きています。刻一刻と姿を変える。その最も美しい瞬間を、私は何時間でも座ったまま、待つのです」

しかし、最初のうちはたくさんのフィルムに撮っても、帰って現像してみると、そのほとんどが平凡な写真になってしまって、黄山の魅力を伝えていなかった。汪さんは、それは自分の心のなかの黄山を映し出していないからだと気づいた。何度も心の中の黄山を、見つめ直し、再び撮影に行くということを繰り返した。「私の写真は山水画に似ているとよく言われます。私も『山水写真』という言い方をしますが、よく見ると山水画と私の写真はかなり違う。それなのに、似たような印象を受けるのは、魂が同じだからだと思います。中国人の山や自然、宇宙に対する思いや美意識が同じなのです」

汪さんは、東洋の思想や東洋的な物がとても好きだという。来日して、日本画の大家、横山大観の絵を初めて見たときも、何か自分と共通するものを感じ、大変驚いた。同じ東洋の心があると感じた。

「もう一つ、重要なことは“気韻生動”ということです。これはもともと道教の考え方から出たものだと思います。″気”は宇宙に充満し、人間はもちろん、動物にも植物にも山にも川にも生命のエネルギーとして偏在しています。一枚の絵や写真にも、“気”が存在するのです」
中国では昔から、書画では“気韻”を最も重視してきた。気が画面に充満していなければ、芸術とはいえない。書でも画でも、写真でも“気韻”がなければ、人を感動させることは出来ないのだ。

山にも気がある。古くから神仙が住むと伝えられる黄山は、幾つもの峰が連なり、老松が茂り、わき上がる雲に囲まれて、勇壮な気に満ち満ちている。

汪さんは20年かけて、黄山の山気を写真に写し取ってきた。その成果を、写真集『黄山神韻』 にまとめた。そこに繰り広げられる黄山は、買気が迫り、神秘的な美しさを見せている。黄山の神気と、汪さんの気が一つに広けってはじめて写し取れる他界だ。

汪さんは、モノクロ写真は現像も自ら手掛ける。雲の濃淡、山肌の色人合い。白と黒の世界だからこそ、言葉にできない色を持つ。気にいった色が出るまで、汪さんは何時問でも現像に時間をかける。そのかわり、気にいった写真に仕上がったときは、喜びもひとしおだ。 
                                                          
写真集の出版とともに、今年4月、東京・三越日本橋本店で、写真展『黄山神韻』を開催した。いままでにないスケールの大きな写真展で、好評を博した。写真集『黄山神韻』 は、海外でも出版の予定だという。

「最初はあまり相手にされなかった(笑)。みな西洋的な美を求めていましたからね。でも、これからは東洋的な美しさに目覚めていくと思います。世界中の人達に、黄山の美しさとこの感動を伝えたいというのが、初めから僕の夢でしたが、ようやく叶います。もう、執念ですね(笑)」

今までは本当に黄山だけを撮りつづけてきたけれど、これからは日本の海や、自分の心に響く日本の美を撮ってみたい、と汪さんは、さらなる夢を語った。

                                                                                                                      気マガジンF1993.No.92 42