「東京新聞」

1993.4.11


断がいに立ち宇宙を体感

 

ワン・ウーシェン 中国安徽省蕪湖市生まれ。大学時代は物理を專攻、卒業後は地元安徽省で報道カメラマンとなる。一九七四年から黄山の撮影を始め、八一年に来日。八三年、横浜市勧行寺の書院に黄山の写真を使った障屏(へい)画を完成させ話題となる。八八年、「黄山幻幽」の個展を東京で開催。四月二十日から東京・日本橋三越で「黄山神韻」の写真展を開さ、写真集も出版する。

主な写冥集に「黄山−汪蕪生影集」 (北京人民美術出版社)、「黄山幻幽」 (講談社)などがある。東京在住。

  現在、中国で山水画に描かれて一番人気のある場所は黄山です。黄山は中国の東南部、安徽省の南にある一、八〇〇bくらいの山ですが、この山は普通の山と違って、すごく険しい峰が百以上も連なり、花崗(かこう)岩層が地殻変動や氷河の浸食作用などで現在の形になったといわれています。今もたくさんの氷河の痕跡が残っていて、峰々や台の形が大変面白い山なのです。

私が黄山と出合ったのは一九七四年、小さいころから黄山にはたくさんの仙人が住んでいて桃源郷のようなところと聞かされていましたが、実際に登ってみて、まさかこんなすばらしい景色がこの世に存在するのかと、大変な衝撃を受け、心を打たれ、息をのみました。

その時私は、黄山の一、000bを超す断がい絶壁の上で、写真を撮ることも忘れてただ座っていました。足元からずっと天の果てまで一望千里の大雲海が続き、峰々はすべて雲の上に漂っている島のように見え、そして周りには一人の人間もいない。ただ聞こえる のは風の音、風が奏でる松の木の音、そしてサルの鳴き声と鳥のさえずりだけでした。
これで私の心は何かきれいになり、魂まで浄化され、安らかな気持ちでいっぱいでした。大げさと思われるかもしれませんが、本当に私の人生観までこの山と出合ったことによって変わりました。

なぜというと、この山に登って断がいの上で感じたのは宇宙は大きいということとその雄大さ、永久さを体感したからです。

さらにこの時見た美しい景色を写真で表現し、この感動を人に伝えようと決心したのです。「これこそが、私のライフワークだ」と思いました。それから十九年、この一つの山だけを撮り続けているのです。

私の写真はよく山水画と似ているといわれ、私自身も最初そう思っていました。しかし実際に見てみると、私の写真と山水画はかなり違います。それなのになぜ山水画に似ているとの印象を人々に与えるのか、考えたあげく私が得た答えは、その「魂」が同じだからということでした。魂というのは中国人の山に対する思いというか、美意識といったもの基本的に同じではないかと私は思っています。

  〆 山水画は西洋人の風景画と違い、風景を忠実に描くものではなく、自分の心の中の理想郷を描く芸術ですから、私が撮り続けている「山水写真」もいわゆる普通の風景写真ではありません。風景を借りて心象風景を描こうというものです。これからも美しい山水を素材にして魅力ある作品をつくってゆきたいと思っています。