「東京新聞」夕刊

1988.3.28

 

山に登ると仙人になった気がして

 

中国・安徽省の長江南部にある山水画のふるさと黄山。七十二の峰々、奇松、怪石、雲海の景勝美は、まさに仙境の名にふさわしい。わが国画壇の第一人名東山魁夷、加山又造両画伯をはじめ多くの画家や写真家も黄山を訪れている。この黄山に魅せられた中国の写真家汪蕪生さんは、レンズを通して写真的手法で山水画を描きあげた。二万枚以上に及ぶ写真を持っており、「日本の皆まんに、私の黄山を見てほしい」と展覧会や写真集の準備に追われている。


                                                                        (文と写真 栗原 武宣)


――汪さんが黄山と初めて出合ったのはいつですか。

一九七二年です。大学を出て地元の文化会館のカメラマンをしていて、取材の途中黄山の近くまでいったので、その時初めて見ました。黄山は中国人のあこがれの山ですから一度は見たいと思っていました。見た瞬間、電流が体のなかを走ったようになり深い感動にとらわれました。カメラマンとして黄山を生涯の撮影テーマにしようと心に誓ったのもその時です。間もなく安徽画報新聞図片社に転職しましたが、仕事の合間をみては黄山の撮影を続けました。不思議なことに、山に登ると、自分の心の中にある悩みもなくなり、精神的な統一ができ仙人になった気がしてくるのです。

――個人写真家というのは中国でもなかなか出版る機会がないそうですが、「黄山」の写真集をだされたのは。

八二年にそれまでに撮影した黄山の写真を北京市の中国人民美術出版社から出版しました。おかげさまで大変反響があり、私の尊敬する中国の芸術評論の第一人者である王朝聞先生(中国美学学会会長)から序文をいただき、人民日報にも紹介して下さいました。

――汪さんの写真は、現代中国の山水画だという人もありますが。

そう思います。中国で山水画と呼ばれる風景画が完成したのは唐の時代で、ヨーロッパの風景画の九百年も前のことです。ですから山水画は中国人の生活の一部で家庭や職場のどこにでも飾られています。またあらゆる芸術分野に浸透して、現代の油絵の中にも、私の写真にも影響があると思います。私は写真も一枚の絵だと思うんですよ。ただ表現の手法が違うです。

絵は墨とか絵の具、写真は光で自然の変化をとり入れて絵を描くのだ思います。

――汪さんの写真は、流れる雲とか霞(かすみ)の層を巧みに写し込んでいますが、年中雲がこんなふうに流れているわけではないでしょう。

そうなんです。中国では雲というのは自然現象を超えた神秘的なものと考えられていす。ですから、雲がでるまでひたすら大気の動きを我慢強く待つしかありません.二、三カ月間、山の上に住みこんで結局何も撮影できなかったこともあります。快晴が続いて雲が全くでなかったり、反対に雨ばかりで峰々が全く見えないこともあります。良いチャンスはめったにありません。

――桂林などの写真ではお目にかかれない世界が黄山にはあると思いますが。

たしかに違います。黄山は気象の変化が激しいところですから瞬間的に雲と霞とかができでもすく変化してしまう、一カ所でいい写真が撮影できたらカメラを持って走るんですよ、次の峰まで。どんどん走ってまたそこで、というように、走りながら撮影しないといろいろな光景の変化に対応できないのです。だから瞬間的に変化の激しい光景の展開の中で、どのように自分の目でとらえ、写し込むことができるか。それは自然との真剣勝負です。黄山の自然の厳しさは、二度と同じ写真を撮影することも許してはくれないのです。だからこそ黄山の撮影には終わりはないと思っています。

――日本に汪さんが来られたのは。

日本の写真家はどんな活躍をしているのか。それにすぐれた日本の写真技術を習得して自分の作品に生かしたいといろいろな希望があったのです。しかし一番の目的は、私の黄山の写真を日本の方々がどう評価してくださるか、ひろく皆さんに見ていただきたかったからです。今まで撮影したフィルムを持って八一年暮れに来日しました。八四年に撮影のため一年間帰国しましたが、八五年に再来日、八六年から東京芸大美術学部の茂木研究室で勉強をしています。

――汪さんが撮影された二万枚以上の黄山の写真を一堂に集めて日本の人たちに見てもらえる機会があると思いますが、その準備のほうは。また、写真集を出版されるそうですが。

日本写真家協会の名誉会長の渡辺義雄先生や、東山、加山両画伯倍、森本哲郎先生からもいろいろとご支援いただいております。展覧会と写真集の出版が同時にできたらうれしいのですが・・・・・・。それが終わったら次はヨーロッパ、アメリカへと夢は大きく抱いております。はずかしい話ですが、中国の写真家は世界の写真集の中に、まだ一枚も写真が出てこないのです。私は黄山の写真を世界の写真の中に位置づけたいと思って頑張っております。

汪 蕪生(ワン・ウーシェン)さん 中国・安徽省蕪湖市生まれ。同市皖南大卒。七三年同省合肥市の安徽画報新聞図片社カメラマン。八一年写真を学ぶため来日。八三年国際交流基金研究員。同年日大芸術研究所で大山教授に師事。八五年黄山の写真がコタクローム五十周年記念のグランプリを受賞。

   八六年から東京芸大美術学部に在学中。またTBSテレビ制作の「黄山仙境行」に自作の写真を提供して協力する。なお、横浜市西区の勧行寺書院のふすまは、汪さんの黄山の写真を使用している。住所は東京都文京区後楽一ノ五ノ三ノ二五三。