汪蕪生・インタビュー
                                           2001.01. 《神鋼 CREO》

「東洋と西欧との出会い」

〜私の作品に流れる「心」と「形」〜

中国写真芸術家・汪蕪生

 

汪蕪生先生は、1974年以来、母国中国の名山「黄山」をモチーフにして、モノクロ写真による「山水写真」という独自のスタイルを確立。「黄山」の心象風景を描いた作品群は、東洋にとどまらず国際的にも高く評価され、今なお深化しつづけている。

その作品群の底に流れる汪蕪生先生の思想とはなにか?またこれからのポストモダンの世界をどのように見ているのだろうか。

●なぜ写真制作に入ったのか

人生というものは、偶然の出来事によって大きく変わることがあります。でも私は、そこにも実は必然性があり、その人の資質、理念は大きな影響を受けていると思っています。学生時代には物理を専攻しましたが、今は写真家です。これにも必然性があったと考えます。

今振り返ってみると、ダンス、歌、絵画などの芸術が、子供の頃からたいへん好きで、高校時代には演劇に夢中でした。あの頃、中国では成績の良い人はたいてい、理工系に進学していました。私の初恋の人は校内でいちばん成績が良く、彼女も当然、理工系進学志望でした。私も負けるまいと懸命に勉強した結果、成績がぐんと上がって、同じように理科大学へ進むことができました。

ところが、これは一時的な感情に流されて決めたことなので、合格してからひどく後悔するはめになったのです。両親に泣いて学校を辞めたいと頼みましたが、許してもらえませんでした。当時は大学の数が非常に少なかったので、一度入学すれば、エリートコースに乗ったようなもので、後の人生が保証されていたからです。そのため両親からは、合格した大学を辞めるなどとんでもない、と反対されました。私は仕方なく通いましたが、夢を捨てられず、卒業したら演劇を勉強するためにもう一度大学へ入ろうと思っていました。とにかく学生時代には、全然勉強しませんでした。劇団に入ったり、オーケストラで管楽器をやったり、そういった活動ばかりしていました。

中国は日本と違って社会主義国家なので、大学を卒業すると、みな公務員になります。自由に職業を選ぶことはできません。国から与えられた仕事しかできません。そういったなかで、少しでも自分のやりたい職業に就けるよう精一杯努力しました。そして、やっと地方の放送局に入社し、編集とアナウンスの仕事に就くことができました。でも、絵を描いたり舞台にかかわったりするような仕事をしたい、という気持ちを捨てきれずにいました。

自分の理想や夢はもちろん大事です。夢のない人生は無意味だし、それを求めることも大切だと思います。でもあまり執着し過ぎては生きにくい。選択肢をいくつか用意しておくことも大切です。誰でも、いちばん好きなものに近づきたいけど、現実にはそのチャンスはなかなか与えられない。そこで私は、当時興味があって独学で勉強していた、写真の道へ進んでみようと考えたのです。そしてやるならば最後までとことん極めたい、と心に決めました。

私がライフワークにしているのは、「黄山」です。標高約一、八〇〇メートル。七十二峰の山塊があり、雲と霧が出やすく雲海が刻々と変わる奇観で知られています。中国人にとって「黄山」は、日本人にとっての富士山に近い存在になっています。

この山と出会ったのは、報道写真専門会社時代です。 「黄山」へ登ったときのショックは、それまで経験したことのない強烈なものでした。言葉では言い表せない、天からの啓示を受けたような、直観的な衝撃でした。これこそが芸術の源、テーマだという啓示が体を貫き、私の価値観や考え方は一変してしまいました。

何億年も存在してきた岩石、樹齢千年は超えているであろう松の群生、これらを目の当たりにして、人間の一生の短さを感じました。そして「黄山」は、私は人生で「なにをすべきなのか」を教えてくれたのです。

●芸術と私の「山水写真」

最近、芸術についてはいろいろな解釈があり、わからないものもたくさんあります。芸術の基本は「感動」です。そんなに複雑なものではない、と思っています。芸術に理屈は要らない。理屈はあとからついてくるものです。まず、心で感じる。感動する。その後で、興奮したり、気持ちが晴れたり、懐かしかったり、いろいろな感情が溢れてくる。それこそが芸術の大前提です。まず、作家本人が感動し、その感動を見る人にどうやって伝えるのか。それが芸術のプロセスのすべてです。感動なしに芸術は成り立ちません。

自分の作品群を「山水写真」と呼んでいるのには、理由があります。普通の景色なら、同じ時期に同じアングルから撮れば、同じ写真を撮ることができます。ところが「黄山」は、雲によって絶えず変化していきます。そのなかで自分のイメージを表現していきます。どういう瞬間に撮るか。同じ写真は二度撮れないのです。

存在するものしか写せない写真という手法を使って、どうやって心の中の理想郷を表現するのか。それが私のライフワークなのです。自然の細密描写ではなく、心象風景として表現し、自分の心境を写し出したい、と思っているわけで、私の山水写真は具象と抽象の合一としで表現していきたいのです。

カラー写真は美しいのですが、時々見る人の想像力の幅を狭めてしまいます。私がモノクロで撮影するのは、見る人の想像力をかきたてて、想像する空間を与えるためです。想像力を膨らませて、楽しむことのできる作品こそが、素晴らしいと考えます。試行錯誤の結果、自分の感動をいちばん表現できるのがモノクロであるという境地に達したわけです。これはまた、東洋人である私のもつ白黒に対する美意識が、自然に現れているとも言えるかもしれません。

●中国の「気」

中国の老荘哲学のなかで言われる「気」は、西洋の科学の「気」とはまったく違います。中国では「気」は、宇宙万物を構成する最も基本の要素であるとされています。西洋のように、原子や分子などによってできた一種の物質とは考えません。

何日も「黄山」と向かい合って、私は「気」の律動や波長を感じます。創作のインスピレーションとは、作家と創作対象の間に、一種の「気」の循環と共鳴が生じたときに生まれるのではないかと感じています。つまりすぐれた芸術作品とは、作家と創作対象の間に「気」が交流し調和した結果、生まれたものです。

そして「気」とは先天的なものだけではく、後天的な訓練や、創作対象や芸術作品との間の相互作用のなかからも生まれてくるものだと思います。ですから、こうした「気」を最初から感じていたのではなく、黄山を撮り続けていく間に「気」の存在に徐々に気づいていったのです。

また、私の写真は山水画と似ていると言われることがあります。しかし実際に並べて見ると、かなり違うのです。それでも似た印象を受けるのは、そこに共通する魂があるからなのでしょう。つまり中国人の心に流れる、山や自然、宇宙に対する思いや美意識が基本的に同じなのだろうと思います。

●オリジナリティと「気」の感覚

学生時代から美術大学へ入るのが憧れで、巨匠たちについて専門的に勉強したいと思っていました。でも今から考えると、入らなくてよかったと思っています。美術大学の課程に入ってしまうと、型にはまりこんで、自分自身をなくしてしまう危険があるからです。

たとえば、一枚の絵を描く場合も、いろいろな勉強をしたために、美大の学生は構図はこうすべきだと枠にはめられ、縛られてしまうこともあります。知らなければ、描くということに対して自由になれます。どうやって作品を構成していくか、そこには自分だけの感覚が必要です。芸術の世界では、オリジナリティのない作品は、ただの複製になってしまいます。

では、自分の感覚とは何でしょうか。私は前述の「気」の動きではないかと思います。目の前にある空間の「気」と、自分の「気」とのコミュニケーション。そこからいろいろな動きが派生して、その動きが私の感性に影響を及ぼす。写真でいうならば、構図を決めたり、シャッターを押したりするタイミングです。この部分は、完全に心の動きが決めています。これは「気」の働きの一種だと思っています。

宗教の専門書を読もうとしていたら、ある宗教家から「わざわざ読まなくても、あなたがやっていることは『禅』の教えと同じことですよ」と言われたことがあります。宗教に入らなくても、自分の心の中で、芸術活動の実践を通して修行しているというのです。

それは意識的に目指したのではなくて、自然にできたものです。山へこもって座禅を組まなくても、日常生活のなかで物事にどうやって対応していくか、そのときに生まれる心の葛藤があります。そのなかから自然に、自分の求める境地へ少しずつ近づいているのでしょう。

●私の目指す作品世界

日本は西洋と東洋の接点にあるので、どちらの文化にも出会うことができます。さらに日本は、古い中国文化を大切に保存してきた国です。そのため、私には日本の芸術から影響を受けたり、示唆を受けたりしていることがたくさんあります。意識的に勉強しようとしたというよりも「ああ、いいな。感動した」という感情をもつことで、無意識のうちに影響を受けているのです

日本の美意識の結晶ともいえる日本画には、独特の素晴らしいものがあります。もちろん中国の芸術にも、それなりの良さがあります。たとえば、山水画はダイナミックで素晴らしい。ただ度を越すと、大雑把な感じになってしまいます。

いっぽう日本画は、タッチが非常に繊細です。私は自分の作品で、中国の芸術がもつダイナミックさと日本の芸術がもつ繊細さを融合させたいと思っているのです。

●現代から未来社会への展望

世界は今まさにさまざまな問題が発生しています。まず地球という星は、物理的に限界に来ています。環境破壊は加速度的に進み、資源の限界も見えています。

アメリカの一人当たりの二酸化炭素排出量は膨大です。六〇億の人間すべてが、同じような排出量で、資源を消費していけるでしょうか? 答えは、もう出ています。今のライフスタイルを改めるべき時期に来ているのです。

精神面では、物質一辺倒の文明は人類の精神をねじまげ圧迫し、病的な状態を呈しています。大人だけでなく子供にまで、自殺者が出ています。さらには子供も殺人を犯す。自分の親を殺す。最近は親が子供を虐待して殺しています。人を簡単に殺すということは、自分の命も大切にしていないということです。異常な状態です。人間の精神の破壊は、すでに深刻なところへ来ています。

このまま精神が貧困になっていけば、美醜の見境も今になくなってしまうでしょう。精神文化を確立して、生きている意味を皆が感じられるようにしなければなりません。

これまでは人間の欲望を上手に利用して、世界はどんどん豊かになってきました。昔は物質的に満たされなかった。食べ物も十分でなかった。それを改善するために、経済や技術を開発したわけです。すべては人間の幸せのためでした。

ところが、今はまったく人間不在で物事が進んでいます。これは大きな問題です。皆で一緒に力を合わせて、真剣に考えなくてはいけません。私は理想主義者かもしれません。でも理想なくして、実現はありえません。

●幸せは心の感じ方

幸せとは、非常に主観的で感覚的なものです。今日は楽しかった、この人と話せてよかった。そういった些細なことも幸せです。ある日突然、与えられるものではないのです。つまり、きわめて単純な心の感じ方なのです。だから今の月給が三倍になったら確実に幸せになる、とは言い切れません。なぜなら、幸せをお金で買うことはできないからです。欲しいものをすべて手に入れたとしても、自殺してしまえば、何の意味もないでしょう。

だから豊かさを追求するために生産性の効率を高めるのは、あるレベルまできたらストップしたほうがよいと思っています。つまり、衣・食・住という、生きていくための基本的な保証さえあれば、あとはすべてのエネルギーと時間は、文化・芸術に注ぎ込んでほしい。もっと身近なものなら、愛する人へ注ぎ込んでほしい。

神は愛のために男と女をつくられたのです。男女の愛や家族の愛、友人の愛。そこから自分の幸せは得ることができるのです。それこそ人間のあるべき姿です。今はそうではありません。驚くことに、自分がほんとうに将来に対して希望が持っているのか、それもわからなくなっている。これは非常に悲しいことです。

●これからの芸術

一九世紀以前と比べると、芸術の生産システムも大きく変わりました。二十世紀は大衆消費の時代となったので、その芸術は使い捨ての消費品となり、金儲けの商品となり、完全に商業化されてしまいました。また、二〇世紀の芸術の特徴としては「奇抜性」が挙げられるでしょう。でも「新しい」ことが、すべて素晴らしいとは言い切れません。もちろん芸術創作における独創性はたいへん重要ですが、それよりも良いもの、優れたもの、感動を与えるものでなければなりません。それが基本なのです。また技術を芸術だと誤解している人もいます。

作家は、常に新しい作品を追いつづけています。既存の作品から抜け出したいという葛藤が絶えず心の中にあります。ある段階へ来ると、誰もが自分の表現に限界を感じて、出口がどこにあるのかと模索します。もちろん私も同じです。もっと新しいものへチャレンジしていきたいと思っています。

これまで東洋では西欧を真似て、追いつけ追い越せとがんばってきました。ところが二十一世紀を迎え、時代は違った新しい様相を見せはじめました。東洋の独特な考え方が見直されてきています。

ウィーンで展覧会を催したとき、観客の反応には、東西を問わない共通の感動がありました。明らかに時代は変化しています。これからの時代を変えていくうえで、東洋的な考え方がひじょうに役に立つ側面がたくさんあります。ところが東洋では、自らの文化の重要性に気づいていないのです。

これからは西欧にばかり目を向けるのではなく、東洋独自の文化を振り返り、生かすべきところは生かしていかなければならない、新しい時代に入っているのです。

(担当 多賀まり子)

「プロフィール」

汪蕪生(ワン・ウーシェン)

中国写真芸術家。1945年、中国安徽省蕪湖市生まれ。

1973年 安徽省新聞図片社のカメラマンとなる。

1981年 日本へ留学。

1983年 日本国際交流基金研究員となり、日本大学芸術研究所で研修。

1986年 東京芸術大学で研修。

1989年 東京女子大学比較文化研究所の客員研究員となる。

1990年 渡米。約1年ニューヨークに滞在。

以来フォトアーティストとして、国際的に活躍中。作品はウィーン美術史博物館、国立中国博物館(写真作品収蔵第一号)をはじめ、数多くの中国、日本、欧米の美術館、会社、ホテル及び個人コレクターに収蔵される。

【個展】

1988年10月 西武美術館(東京・池袋)『黄山幻幽−山水画の故郷』

1993年 4月 三越本店(東京・日本橋)『黄山神韻−汪蕪生山水写真展』

1994年 4〜9月 椿山荘ガレリア・プロバ(東京)

OXY美術館(大阪)

伊勢丹美術館(新潟)

岩田屋美術画廊(福岡)他個展多数

11月 国立中国博物館(北京) 中国文化部等主催による大規模な個展

1995年 1月 上海美術館(上海) 中国文化部等主催による大規模な個展

1996年 4月 アサクラギャラリー(東京・代官山)「中国巡回記念展」

1998年 5〜8月 ウィーン美術史博物館(オーストラリア)『Himmelsberge』

欧州三大美術館のひとつである同館において、世界初の現存
         
芸術家の個展。初の写真展、また初の東洋人個展として、芸 

術史に画期的な業績を残すものとなった

2000年 4〜7月 東京都写真美術館『天上の山々』

2001年1月 TBS、唐招提寺主催の『鑑真和上と世界の写真家展』に20世紀を代表する世界の十人の写真家として選ばれ、十三点の作品を出品した。

【作品集】

『黄山−汪蕪生影集』北京人民美術出版社

『黄山幻幽』講談社

『黄山神韻』講談社

『黄山写意』講談社・中国青年出版社

『Himmelsberge』(天上の山々)SKIRA・Kunsthistorisches Museum Wien

『天上の山々』日中協力会