汪蕪生・インタビュー
                                          2000.10.15 《BRUTUS》

鑑真和上

 

中国語でphotographは「撮影」。でも「写真」のほうが本質的だよ、と漢字の国の写真家は言った。

最初に鑑真和上のことを知ったのは、 1980年の里帰り展の時。テレビや新聞で大々的に報道されて,中国全土が大騒ぎでした。それ以来、いつか拝見できればと願っていました。

――実際に和上像と対面してみて、どんな印象を受けられましたか?

日中の歴史に永遠に残る人物ですね。私も198I年に日本に来てから約20年になります。経歴はまったく違いましが、同じ中国人で、同じように祖国から離れて日本の土に根を下ろして生きた方でしょう。そういう思いがありましたから、最初に厨子を開けて見せていただいた時は、感無量というか、胸がいっぱいでした。

――撮影はいかがでしたか?

これまではほとんど自然の風景が相手で、スタジオ撮影の経験がありませんでしたから、非常にいい機会になりました。それに日本に来てまず惹かれたのが土門拳の作品だったんです。彼の写真を見て初めて、仏像は撮る人によって、光やアングルによってまったく変わるな、と思いました。実際にやってみるといろいろ制限がありましたので、結果は分かりません。それに私の創作プロセスの半分以上は、時間的にも、重要度からいっても暗室作業です。初めて和上像に対面した時受けたもの、今まで感じてきた鑑真和上に対する思い、シヤツターを押す瞬間の感動を暗室作業でどこまで伝えられるか。それが終わってみないと何とも言えないですね。

――生前の鑑真和上に会えるとしたら、どう撮りますか?

私は自分が撮影対象に感動しないと、撮れない人間なんです。人物撮影もそうで、相手に対して尊敬の気持や親しみを感じたい。笑ったり、泣いたり、怒ったりという内面、その人の真実を撮りたいです。鑑真和上は間違いなく尊敬できる人物です。だからまずはお目にかかって、コミュニケーションしていけば、和上の人となりを知るチャンスもあるでしょう。そこから私なりの撮影ができるかなと。