森本哲郎(元東京女子大学教授・評諭家)
          1999.07.08.《日中協力会》発足会

御挨拶

森本哲郎(汪蕪生先生を囲む日中協力会 顧問)

ただいま紹介していただきました森本でございます。実は先程以来いろいろ皆方が祝辞を述べられて、皆、「汪先生」というふうに言われたわけですね。ところが僕は十年以上前から「汪さん、汪さん」といっておるものですから、この場で何か汪先生というのもなんとなく照れくさいような気が致しまして、あえて「汪さん」というふうに呼ばせていただきたいと思います。

汪さんと知り合ったのがだいたい十年以上前になります。実はテレビでですね、どこかいいところがないだろうかという話がありましたときに、中国の黄山をぜひ日本に紹介したいということになりまして、私がリポー夕一役みたいな形、案内役みたいな形で出演したわけでございます。そのときに黄山のことについてー番詳しく知っている人がいるというので、テレビ局から紹介されたのが実は汪さんであったわけであります。もう十年以上も前になりますけれども、それ以来、実は汪さんとずっと親しくさせていただいておるわけです。そのときに汪さんはちょうど我々のテレビのクルーとー緒に黄山を案内してくださる、「ここがー番いいぞ!」というようなところを指導してくださるはずだったわけであります。ところが、どういうわけか、めったにないことなんですが、その直前になりまして、汪さんが体調を崩されてしまいました。入院されるということで、もう残念ながら汪さんがー緒に行っていただけないことになってしまいました。そこで、私はテレビの人達とー緒に黄山を初めて巡ったわけでございます。あるいはご記憶になっておられる方がいらっしゃるかもしれませんが、その光景、そこのテレビに映し出された黄山の風景というのは、まことに素晴らしいものではありますけれども、実は、いくらテレビが動きまわって撮ってもですね、このような汪さんがー瞬にして撮った黄山の風景というのは容易にカメラにおさめることはできません。そういう意味で私は汪さんの展覧会があるたびに足を運んでおりまして、ウイーンにもわざわざ展覧会を見にまいりました。

後藤田さんがおっしゃつたように、まさに東洋の山水画そのものでありまして、汪さんはこれを写真と言わないで、あえて、山水写真と言っておるわけですね。私は、この新しい形の、まあ、今、日本では『山岳写真」というふうに言われておりましで、山を撮る人は、写真家は沢山いるわけですね。非常に有名なカメラマンも大変おられるわけであります。しかし、汪さんのように東洋の伝統、東洋の山水画の伝統を踏まえて、こういう具合にレンズをピタッと向けるという写真家は汪さんをおいて他にはいない。私はほんとうに貴重な存在であろうと思います。私も中国の山はほとんど尋ねまわりましたけれども、黄山ほど素晴らしい山はないんですね。それをこういう具合に撮って何年も何年もかけてですね、ものすごい忍耐力をもって、これだけ素晴らしい作品を撮りあげた。これだけ立派に新しい写真のジャンルを切り開いた。私はその意味で汪さんの功績というのは大変大きい、単に中国の写真家というのではなくて東洋の写真家として、言ってみるならば中国、日本などにずっと伝わっておる水墨画の伝統、その延長線上にですね、その現代的形として、こういう写真があるんだ。そういう意味で、私はこれからの汪さんのご活躍を大いに期待したいと思っていたところでございます。幸い皆様方のご助力によりましで、こんな大きな会が形成されることになりました。ビジネスに偏らないで、むしろ、これからは文化というものを通じでお互いの認識を深める、理解を深めるということの上で汪さんの果たされる役割は極めて大きいと思います。同時に、また、私たちもこの会をー生懸命支援して、できるだけ日中と心を通いあった21世紀の付き合い新しい第一ページにしたい。そういう意味で、おそらく、この日中協力会というものがどんどん発展していく、まもなく北京にも作られると聞いております。両国に作られたならば、その交流というものもいよいよ盛んになるでしょうし、また、汪さんの後輩たちも次から次に登場する。日本からもこのような『山水写真』を撮るようなカメラマンが大勢出現する、そういうことを通じて、写真の歴史そのものに新しいページ刻み、後世に残る大きな業績をこれから築きあげでいく。そういうことを私は期待しております。

汪さん、今日はほんとうにおめでとうございました。今後ともぜひとも頑張っていただきたく思います。どうもありがとうございます。