Ariane Kiechle ( Munchenからの観客)
       1998.8. 『SZ』(南ドイツ新聞)への寄稿2

中國人写真芸術家汪蕪生

不朽なる芸術創造を目指して

Ariane Kiechle (Munchen)

中国・安徽省の蕪湖〔Wuhu〕市生まれ、青年期は文化大革命の不穏な年月と重なっており、ひょっとしたらこのことが、この年月の間に禁じられていたものへの欲求を呼び覚ましたのかもしれない。70年代はじめに写真家として出発、ほどなくして近くの黄山山脈の山々―― 今や多くの西洋からの旅行者に知られた桂林の漓江にもまして絵画的に美しい山々――が彼の芸術のお気に入りの題材となった。80年代には日本で勉強を続け、1990年にはニューヨークへ行く。この間、中国日本での多くの写真展で知られるようになった。l997年、オーストリアのクレムスで開かれた展覧会「山の重力」でいくつかの作品が紹介された時、ウィーン美術史博物館館長、同館で彼の個展を企画しようと決め、これが《天上の山々》というテーマで1996年5月20日から8月9日まで開催きれたのである。

いくつかの作品は、2.5〜5.5mの大きさの中国・日本風の屏風の形で設置された。その他の多くは約1.50〜2.00mの判ゼラチン銀焼き付けで、黒い木の額縁とガラスに収められている。画面を支配するのは、雲あるいは霧峰の大きく白く揺れ動く空間で、そのところどころから、水墨画のように、奇怪な形の山頂がくっきりと浮き出ている。ハラッハ宮殿の地味で上品な展示室と薄暗い照明が、ふさわしい雰囲気をかもし出し、作品の『陰影に満ちた三次元性』をうまく引き立てている。

この種の『風景画』は中国では『山水画』と呼ばれ、この風景を観る芸術家の最も深いところにある感情を表現するために『風景を借りる』ものだという。山水画には2000年を 超える長い伝統があり、19世紀には西洋絵画にも強い影響を与えた。汪蕪生 の新しさは、写真という近代メディアを使って、山水画と似た、しかしやはり異質の作品を創作する点にある。彼の作品は、ゼラチン銀焼き付けという特殊な技術によって驚くべき幻想的効果を生んでおり、これが何の説明も必要なく鑑賞者自然に伝わってくる。残念ながら、印刷図版でこの特殊な美しさを再現することはほぼ不可能で、カタログを見ればそのことがよくわかるが、それでもなお、印象深いカタログに仕上がっている。

これらの写真は、人が希求する永遠というものの夢想的な幻影を伝えてくれる。こうした幻影は、じつは『魂の奥底』に根づいていて、いつでも体験可能な不朽なるものなのである。アジア的シャーマニズムや道教、禅宗の古来の観念は、こうした宇宙との一体化の体験を繰り返し繰り返し呼び覚ましてきた。現世の途方もない混沌のさなかにあってさえ、この時間を超越した永遠にしばし立ち寄ることは可能なのである。まして、極度に規制され、技術に支 配された世界の中で、ますます人間が強い閉塞感を抱くようになっている今日では、その分よけいに、このユートピア的天国をかいま見たいというノスタルジックな憧れを強く感じるのだ、と汪蕪生は言う。彼の言葉によれば、優れた芸術作品が生まれるには、芸術家と、生み出される作品との間の、なめらかで調和的な感情共振がどうしても必要である。彼は、人類は現代文明に適応しておらず、それゆえ絶え間ない衝突が生じていると考えている。自然を搾取の対象としてではなく、新たな生存空間としてとらえ直すことが、21世紀のポストモダン文明の目標だという。人間と自然の一体化を再び取り戻す以外に、今後の物質的・精神的生き残りを保証する道はない。したがって来世紀は、技術によってのみ支配されることなく、非常に生き生きした時代、限りない精神性の時代にもなるだろう、と彼は考えている。