汪蕪生  
    1998.5. イタリアSKIRA出版社・ウィーン美術史博物館刊《Himmelsberge》

アトガキ

ウィーン美術史博物館“Himmelsberge”展図録

一体いつ頃ウィーンという町の名がわたしの心に根を下ろしてきたか、はっきり憶えていないが、最初に『美しく青きドナウ』のメロディに陶酔したのは確か中学生の頃でした。その後、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンは、私の魂を完全に魅了し、音楽によって構築されたウィーンという町は、私の憧れる芸術の聖地となりました。

1997年5月、一通のファックスが、二ヶ月余り転々とした末、私の所に届きました。ウィーンの近くにあるクレムス美術館(KUNST .HALLE.KREMS)のキュレーターであるWolfgang Denkさんからの手紙で、同年9月から開かれる『The Gravity of Mountains』という、18世紀以降のアーティストたちが“山”を通して内なる世界を表現した芸術を集めた企画展への出品の誘いでした。私が憧れる芸術の聖地に行けるなんて、私の作品が“芸術の国”の人々に観てもらえるなんて、興奮の連続でした。

そして9月6日、『The Gravity of Mountains』展の開幕式、会場には人でいっぱいでした。開会式に同行してくれた在オーストリア中国大使館の文化参事官賈建新様と王乃紅女史が、突然慌てて駆けつけて来て、私に「ウィーンの美術館があなたの個展開きます」と興奮した口調で伝えたのです。どういうことかさっぱりわからないと思っているうちに、ひとりの男性が紹介され、ドイツ語の話せない私にはただ簡単な挨拶しかできませんでした。ただ王女史の説明で分かったことは、この男性が『ウィーンの美術館』の館長で、非常にエライひとで、彼がこの広い展覧会場の間に挟まれた狭い廊下に掛けられている私の写真を何回も行き来して観て、「この5点の写真がこの展覧会においての一番の傑作だ」と評し、直ちに『来年の春に汪蕪生の展覧会を開くことにした』ということでした。この話を聞いた私は、目の前にいるとても健康そうで陽気な男を敬服するとともに、感激の情がこみ上げてきました。というのも、ヨーローパの各美術館で自分の個展を開くのは昔からの願望でしたし、このたびクレムス美術館での展覧会に参加することをきっかけに、その願望の実現を探ってみようという思いもありましたから、オーストリアに着いた翌日にすぐ『ウィーンの美術館』の館長さんにこう言われて、大変嬉しく思ったのです。

その日の夕食の後、もっと詳しく聞いて分かったのですが、その『とても健康そうで陽気な男』の名前はDr. Wilfried Seipelといい、その『ウィーンの美術館』とはウィーン美術史美術館だったのです。

今になってもずっと不思議に謎のように思っています。

ウィーン美術史美術館は、世界屈指な美術館のひとつであり、世界の芸術界に大きな影響力を持っています。今までここで開かれた展覧会は、ほとんど美術史上著名な巨匠の展覧会ばかりで、在世の芸術家の個展は唯一度だけでした。この美術館で、現代の在世するアーティストの中で誰の個展を開催するかを決めることは、決して安易なことではないはずです。

何故、Dr. Wilfried Seipelはたった5点の写真を見ただけで、たった5分間のうちに、ヨーローパにおいては全く無名のアジア人カメラマンの大規模な個展を開くことを決断したのでしょうか。
二十数年間、私は非常に孤独な芸術の道を歩み、多くの人々との出会いもありました。その中でもDr. Wilfried Seipelは私にとってまさに伝奇的な存在となりました。今、私はDr. Wilfried Seipelの見る目の鋭さとその五分間に下した決断の正しさを、この度のウィーン美術史美術館における私の展覧会を以って証明したいと心の底から思っております。

今まで十年間の間に、日本と中国の各地の美術館で数多くの展覧会を開きました。しかし、各方面の条件制限でいつも慌てて満足へいける展覧会の開くことができませんでした。今回はウィーン美術史美術館での展覧会開催にあたり、初めて私の作品と出会うヨーローパの方々のために、是非とも自分の満足に近い展覧会を創りたいと思っているので、敢えてDr. Wilfried Seipelに選ばれた写真(非常に嬉しいことにDr. Wilfried Seipelの好みが私のとはほぼ完全一致した)を基にして厳選した43点の作品を大きなサイズで新しくオリジナルプリントを精魂こめて制作いたしました。私の作品をひとりでも多くの方に観賞していただければ幸いです。

終わりに、今回の展覧会のきっかけを作って下さったクレムス美術館のCuratorのWolfgang Denkさんに感謝します。

展覧会の開催にあたり、多大なご協力を賜った在オーストリア中国大使館文化参事官賈建新様と書記官王乃紅女史に感謝します。

長年にわたって私の芸術活動を応援して下さった日本のさくら銀行名誉会長、小山五郎先生および牧厚様をはじめとする私の後援会、《日中協力会》の皆様に感謝します。

展覧会の大きなサイズの写真を制作するため、暗室用の広いスペースを提供してくださった山口隆社長をはじめとする日本の椛謌黹rルディングの皆様に感謝します。

展覧会の全作品の制作と運送など作家側の作業を全面的にバックアープして下さった日本の鞄d通テックの皆様、特にプロデューサーの石川文様に感謝します。