汪蕪生・インタビュー  
   1997.04.01《CURRENT 21》 

星野知子の比較文化講座

名峰・黄山に魅せられた中国の写真家

日本を舞台に世界をめざす

中国・安徽省にある山水画のふるさと黄山。この中国人のあこがれの山をライフワークとし、国際的評価を受けるカメラマン汪蕪生氏。来日一五年、形を重視する日本文化に決定的な影響を受けて作品に独自の境地を拓いたという。

日中国交回復二五周年の今、日中の経済的交流は活発でも、相互理解にはまだ大きな隔たりがある。半分日本人になったという汪氏をゲストに迎えて、それぞれの体験を通しで日中文化の違いを語り合う。


来日十五年、日本の文化は最高

             ただ問題はコミュニケーション

星野  汪さんが初めて日本にいらしたのはいつでしたっけ。

汪  最初は八○年です。そのとき私の兄が日本にいて、母と一緒に会いに来ました。それで二カ月いて、「あっ日本に来て留学しよう」と決心して、中国で一年間準備してから、八一年に正式に来日して、以来今日まで。

星野  もう一五年ですね。初めからこんなに長くいようと?

汪  私はね、昔非常に若いときから、自分の人生、一つの旅だなと、そういう感覚あったんです。別に最後どこに住むか、どこに家を置くか全然考えていなかった。だから日本に来たときも、別にそんなに長く日本に住むとは思ってなかった。

星野  とりあえず日本に来てみようかと思った。

汪  そうです。

星野  その決め手はなんだったんですか。

汪  最初は別に深く考えてなかったんですよ。ただ、一つ中国から出ようという。

星野  うん? 中国から出る?

  やっぱり中国でいろいろな体験を私してきたし、仕事の面でもある程度成功した。つまり北京、中央ですね、そこで一番権威ある出版社から本を出したり、いろんな評価されたり。だけど、そこでちょっと満足できなくなっちゃって、「もっと大きな世界で活動してみたいな」という無意識な願望があったんです。そうなると、やっぱり国際都市、大都市がいいと思ってた。もう一つは、日本が非常に東洋と西洋の真ん中、接点にあるんで、いろんな東洋と西洋の文化同時に出会える。しかも日本は、非常に中国の古い文化も大切に保存して来た国です。

星野  それで東京に。日本での暮らしはどうでした? 日本語は?

汪  全然(笑)。「あいうえお」も知らなかった。

星野  あら、それは大変(笑)。

汪  語学学校に一年くらい通って、あとは独学。一生懸命勉強しました。私、よく聞かれるの。世界中で一番難しい言葉はどの国の言葉かって。私だけじゃない、日本語ですよ。みんなそう言う。日本語は言葉だけ勉強するのは難しくないの。言葉の真の意味ね、ものすごく読みにくい。

星野  ええ、そうみたいですね。

  英語と中国語だったら、すごく共通点ありますね、文法だけじゃなくて。やっぱりストレートです。「YOU」は「YOU」です。日本では「君」「お前」「あなた」「てめえ」とか「きさま」とかたくさんあるでしょ。場合によってどういう使い方するかで、その人がどういう環境に置かれているか全部わかってくるんです。だからこれ難しい。

星野  言葉を覚えていくうちに、その根底にある日本人っていうものがわかってくるでしょ。なんでこんなに、いろいろ使い分けなきゃいけないのかって考えていくと、やっぱり国民性みたいなものが出てくるじゃない。それで、日本人はなんで複雑なんだろう、大変な民族だってと思ったんじゃない。

  ハハハ・・・・・・、でも、日本に一五年間いたから、ある程度は自分も半分日本人になったかなという感じで、そこ非常に感心してる。日本の文化、最高の文化と思います。

星野  本当? それは嬉しいですね。

汪  最高。ただ、問題ありますよ。もし日本人同士として、この島国だけで生きていけば、これ最高の文化。非常に秩序あって、コミュニケーション、思いやりあって、非常に社会としてうまく出来上がっているんです。しかしですね、地球の中で日本だけじゃないんです。問題はここにあるんですね。最高の文化と言っても、この文化と他の文化、どういうふうにコミュニケーションするか。そこから問題出てきた。いくら自分の文化大切に思っててもいいの。ただ、やっぱり相手の文化も尊重しないと、コミュニケーション成り立たないんです。国際的な面から見ると、ある程度は他の文化ともっともっと融合していかなくっちゃいけない面もあるんです。



似ていても全然違う 形を大事にする日本文化

星野 ところで一五年前だと、中国は開放政策を取り始めたばかりだし、日本の情報もあんまりなかったでしょう。日本に住んでみて何に一番驚きました?

私、驚かない人ですから(笑)。

星野  嫌だな(笑)。例えばつまらないことですけど、私は初めて中国に行った時に、ラーメン屋さんが一軒もなくで驚いたのね。北京でも上海でも食堂のメニューに麺類はあるんだけど、いわゆるラーメンとは似て非なるものでしょ。正直言って、日本のラーメンが恋しかったわ(笑)。

汪  そうね。ラーメンは日本食ですね。

星野  醤油ラーメンや味噌ラーメン、中国の人が食べてもおいしいと思わない?

汪  思いますよ、とんこつラーメンも大好き(笑)。日本はね、非常にユニークな民族

で、そういう外因文化を取り入れることが上手ですね。それを自分のものとして吸収して、そこから時間を掛けてユニークな独特な日本の文化作り出した。そういうことに非常に感心した。

星野  だけど、それは長所でもあるけれど、短所でもあるとも言われてるじゃない、日本人のね。要するに真似事っていうか、オリジナリティーがないとか。

汪  だからよく私言うの。一つの東洋人の考え方、中庸の思想。これはつまりバランス取ることですよ。どんなことでも、いくら長所といっても行き過ぎると崩れるんです、そこで短所になるんです。

星野  昔から日本には中国文化が入って来てたでしょ。でもそのままではなくて、日本風にどんどん変わって来たじゃない、宗教でも建築でも。日本には元は中国なんだけど、中国の人から見るとちょっと違うものがいっぱいあるわけでしょ。そういうのってどんな感じに見えるのかしら。

汪  確かに似てるけど、本質的に全然違うものです。日本に一五年住んでわかりました。形はある程度似てるところあるけど、でも基本的な考え方、価値観とか、いろんな倫理観念とか、そこに非常にずれがあるな、と。

星野  どういう点で違うんだなというふうに思いました?

  ある意味で一言で言って、日本は形の文化です。非常に代表的なのは茶道ですね。日本の精神文化に非常に影響与えた。あれだけ見てもわかるし、あとそれ以外のところも全部左右されてるんです。非常に形を大事にしてる。

星野   中国は何を大事にしてるの?

日本と比べると、やっぱり中身かな。実際的な内容ですね。形にとらわれずという、比べるとそう言えるんです。茶道、ただ驚きましたよ。この例えば茶碗、持って口に行くまでのその空間の軌跡も決められてるんです。手の動きはどこから入るか全部決められていて、びっくりしました。

星野  フフ、わかります、わかります。お茶の作法って私たち日本人にとっても驚異ですもの(笑)。まあ今では茶道や華道は一般の人の暮らしの中でなじみがないわけだけれど、それでも「日本人は形を大事にしている」 って感じます?

  ええ、非常に深く感じてるんです。そういう精神は今の日本人の中でも生きていると思います。いろんなこと、物事、認識するのは形から入るのを非常に大事にしてきたんです。

星野  ウーン・…・・、自分では気づいていないけど、私もそうなのかなあ。

  もちろんです。

一まとめにはできない中国人

                   違うと思えば付き合い方も変わる


星野  この前ローマに行って、フオロ・ロマーノを見学したんですね。フオロ・ロマーノというのは古代ローマの遺跡で、もうポロポロなんだけど巨大な神殿や凱旋門がローマの繁栄を物語っているのね。その時ちょうど知り合いの中国の人も来てて、私が「すごいわねえ」とため息をついたら、その人は「万里の長城の方が大きいです」って言ったのよ。すごく得意そうに言ったわけ。私はああ面白いなあ、と思ったんですね。たぶん日本のほとんどの人は、フオロ・ロマーノを見たら、「素晴らしい!」「圧倒されるなぁ」って驚いて、尊敬して帰ってくるんじゃないかしら。でも、ローマよりさらに長い歴史を持っているせいか、中国のその人は発想が違うのね。どっちがいいってことではないんですけど、日本人は他の国の歴史や文化を素直すぎるくらい羨ましがる傾向があると思いません?

  はい、だから私も、そういう日本の文化がわかってるつもりですけど。

星野  汪さんも日本に初めて来た頃は、もしフオロ・ロマーノを見たら、やっぱり万里の長城の方が大きいと思うタイプだったでしょ (笑)。

  そう・・・・・・ですね。でも私、とりあえず日本に来るまでは、正直言うと自分の民族とか、中国の国民性とかまったく知らなかったと言えるんです。やっぱり日本に来て、少しずつ日本文化わかってくるとともに、自分の国の文化とか国民性、やっとわかってきたと思いますよ。やっぱり比べながらわかるんです。だから、あんまり批判じゃないですが、日本人はやっぱりプライドとか誇りとかもっと持って欲しい。

星野  日本人が。無いかしら?

  自分の文化に対して、やっぱりある程度どこかにコンプレックス感じるの。劣等感というか、これ私は大嫌いなの。中国人はその点、わりといいと思いますよ。もちろんヨーロッパ、西洋文化がみんな憧れですよ。だけど、ちっとも劣等感ない。

星野  でしょ、日本はね・・・・・・。私もやっぱりコンプレックスを持っていると思う。

  中国人はコンプレックスないの。だからそこに時々傲慢と思われる面もある。それは確か傲慢な人いるの。ただ一つあと中国の文化、いったいなんだろう。正直言うと、日本のみなさんと私はちょっと違う考え方持ってる。中華民族と言っても、一つの純血な民族じゃないのよ。たくさんの民族の血を混ぜて出来たんです。だって私の血の中にユダヤ人の血が入ってるかも知れないよ。モンゴル人の血入ってるかも知れないよ。永い何千年の歴史の中に、はっきりと境ないの。例えば中国の民族の九五パーセント以上の人口は漢民族と言われているでしょ。漢民族の中にいろんな人種もあるんです。北の人、旧満州の人と、南の広東省の人、顔まで違うもん。

星野  私も二カ月間、中国の内陸部チベットから上海まで、六〇〇〇キロ以上の旅をしたんですけど、地域によって顔が違うのよね。食べ物も違うし。結局、行く前よりも、中国ってこんな国とか、中国人ってこんな民族って、一言では言えなくなっちゃった。

  そうでしょう。だから私ぜひみなさんに言いたいのは、今のマスコミ、日本の普通の人々、すぐ、われわれ日本人はこういうふうに考えてる、あなた方中国人はどう考える。私なかなか答えられない。私知ってる中国人、いろんな中国人いるの。だから考え方、習慣、文化、風俗、全然違う。答えられない。つまり日本人は民族というと、すぐ大和民族考えちゃうでしょ。国というと日本列島、そういう国ね。だからまったくそれと同じ概念持って、中国を見てる。そこに何かずれがあるのかなあ。

星野  もしかしたら、私たちは「あの国は」とか「日本人は」って決めつけることで、なにか安心したいのかもしれませんね。それに、中国人との場合は、顔も似てるし、漢字も書くし、お箸で御飯も食べるから、つい頭の中も似てるはずって、勝手に思ってしまうんですよ。だから私も中国の人と仕事をしている時、些細なことで気持ちがすれ違っただけで「えつ? どうしてわかってくれないの?」って、とまどったりするんですね。相手がアメリカ人やイタリア人だったら、つまらないジョークを一緒に笑っただけで「よかった、目は青いけど意志は通じそう」なんて、嬉しくなったりするのに。

  そういう点では、私も欧米の人とのコミュニケーションの方が楽なところあります。むこうはみんなが異なった考え持ってて当然と思ってるから。

星野  ああ、やっぱりね。

  私たちは元々違うというところから始めた方が、スムーズに付き合えるのかもしれないです。

暗室をアトリエに写真で表わす日本画の世界


星野  ちょっと話を戻しますね。今日は汪さんの作品に囲まれてお話ししてますけど、汪さんの写真の対象はすべて中国の山、黄山なんですね。日本に住んでいながら黄山ひとすじでしょ。そういう人って珍しいですよね。なぜ中国の山の写真を日本で制作しているんですか?

  黄山は私が最初に出会った、非常に感動して、そして自分の人生のライフワークとしてやっていこうと決心したテーマです。やっぱり黄山のために、日本に来て自分らしい作品を完成させたかった。日本の写真の技術、素晴らしいものがあります。もう一つは、日本に来て非常に感じたのは、さっき言ったように素晴らしい文化持っている国だなあ、と。その日本の文化とりいれたかった。正直言うと、私の今の写真、もし日本に来なかったら、こんな風じゃなかったかもしれない。

星野  そうしますと一五年前の中国での汪さんの写真と、今、後ろに並んでる作品っていうのは、なにか違うものが、日本の味が出てきてるのかしら。

  もちろん。誰よりも、私自身一番わかってるの。非常に日本の文化の影響強い。

星野  どのへんがですか?

  私の作品見ると、みんな山水画、山水画というでしょ。実は中国の伝統的な山水画と比べて見てよ。全然違うものですよ。そこには日本画からの影響がすごくあった。

星野  日本画?

 これ日本の文化の一番の特徴ですね、形を非常に大事する。日本の芸術の中に、非常に反映されてる。日本画も非常に装飾美を大事にしてきた。それから日本人の繊細な美的なセンス。国際的で抜群と思いますよ。だから日本のアーティストで一番国際的に認められるのは、デザイナー、建築家。形がね、非常に日本の文化の中で優れてると思います。

星野 では中国の人が、汪さんの作品を見ると、どういうふうに感じるのかしら?

 この山ね、中国では富士山みたいな存在ですよ。誰でも知ってる、誰でも一度は登ってみたい山です。だからこのテーマの写真とか絵はものすごく多い。もう写真家だったら黄山に行かないと写真家じゃないというような、オーバーに言えばそういうような存在ですから――そういうテーマを中国で発表するのは難しい。まず黄山のテーマだったらみんな呆れるの。三年前、中国で北京の国立美術館と上海の市立美術館で個展やったんですよ。だけど最初に話があった時は、中国の文化部とか美術館の人、乗り気じゃなかったの。もう嫌です、黄山というものあり過ぎちゃって。ところが、たまたま、中国の国立美術館の代表団が訪日して、椿山荘で私の個展やっていたのを見て、ちょっと驚きまして「こういうものか、ぜひやりたい」となった。なぜっていうと、やっぱりこういうような表現、今までの中国の写真だけじゃなくて、絵描きの中にもなかったんです。

星野 そう言われてみると――中国の伝統的な山水画に比べて、隙がないというかキッチリしてますねえ。それにモダンな感じがします。

 そうですね。時代的な新しいの、モダンの要素も入っていますし、黒と白のそういう強調、コントラストから出てきた一つのものとか、それは昔の中国の山水画の中になかったんです。だから、一つの表現のスタイルとしては、写真の歴史の中にもなかったし、絵描きの中にもなかったというような評価ありました。

星野 なるほどねえ。でも写真でそういう世界をつくるのは大変でしょうね。いい具合に雲が出た瞬間にシャッターを押すわけでしょ。太陽の位置も微妙ですし。これは時間がかかりますね。

 もちろん時間非常にかかります。雲はよく出るけど、いかに変化の激しい中で、自分の心象風景を表わす瞬間を捉えるか、それが難しい。だから一度撮影に入ると半年ほどずっと山にいます。

星野 まあ、半年も!それだけ黄山に魅せられているんですねえ。ほれてるんですねえ(笑)。

 一生の恋人(笑)。

星野 でも、そろそろ日本をテーマにする気はないですか?この一五年間で汪さんを魅了するような風景には出会いませんでした?

 いっぱいあります。日本列島全部美しい。とりあえずは日本海かな。

星野 ハァ、日本海ですか。汪さんが撮るとそう、きっとモノクロで凄みのある海になるんでしょうね。

 ハハハ・・・・・・、半分日本人になった私から見た日本ですね、どうなるか。

星野  楽しみにしていますね。

(南青山・ガレリア・プロパ本店にて)

[対談を終えて――星野知子]

颯爽と、全身黒づくめで汪さんは現われました。一年を通じて黒しか着ないという汪さんは、お話ししていても、雄弁汪ありながら、なかなかスキを見せてはくれないのです。とてもストイック、それでいて優雅な感じは、そう、厳しい山影に白霧が流れ込む汪さんの写真のようでもありました。今、日本と中国はとかく経済面での交流ばかりが目につきますが、本当の意味で両国が交流してゆければ、汪さんはそのための文化の懸け橋となってくださる方でしょうね。