汪蕪生/唐金海(文学評論家/復旦大学教授)   
   1995.01.22. 上海ガーデンホテル

芸術と文明についての対談

1995年中国文芸誌《塞上文壇》第二、三号

1998.05.ウィーン美術史博物館“ Himmelsberge”展図録にドイツ語訳文

日本在住の著名な写真家・汪蕪生氏の黄山を写した作品は、これまでに日本で何度も展示されて高い評価を受け、また1994年11月と1995年1月にはそれぞれ北京と上海の国立美術館で『黄山神韻ー山水写真芸術展』が開催され、その観客は合わせて6万人近くに上った。今年(1995年)一月下旬、上海花園飯店(ガーデン・ホテル)において、汪蕪生氏は著名な文学評論家である唐金海・復旦大学教授と3時間にわたる対談を行い、美学と文学芸術について古今東西を網羅して語り合った。本誌では、その録音を岑沫石氏が労を惜しまずに整理された後、両氏が加筆訂正された対談録を今号・次号の2回にわたって掲載し、国内外の研究者諸氏のご意見を請うものである。(以下、両氏を唐・汪と略称する)

唐:先生の作品は、ざっと拝見しただけでは何とも感想の申し上げようがなく、どこにその美があるのかもはっきり説明できないのですが、しかし一目見た途端に引きつけられてしまうものがありますね。国内の他の写真作品とも、海外の作品とも全く違った感じがいたします。もちろん、先生の作品に中国の伝統的な水墨画と内面的に多くの共通点があるという印象は受けるのですが、ともかく、全体の印象をすぐにははっきりと説明できないのです。しかし、考えを整理してみますと、先生の作品には四段階の境地が表現されているように思われます。その第一は『意境』(精神的な境地)です。『意境』が形と一体化して、虚の世界と実世界が結合した優美な画面を作り出しているのです。二段階目は『心境』、一種の情緒的とも言うべきものです。先生の作品は単なる客観的なものではなく、その点がアダムスやジャクソンの作品とは異なっています。先生の作品の『心境』というのはすなわち先生の心の中にある山水を表現したもので、つまり心の中の理想を黄山の雲や霞の形を借りて表現した作品、言い換えれば山水に気持ちを託した作品と言えるのではないでしょうか。三段階目は『悟境』、つまり悟りの境地です。かつて中国や世界の哲人たちが崇めてやまなかった高い境地で、見る者は、そこから画面を超越したより深遠な意味を感じ取ります。ここの「悟り」は写真家がある特定の具象を撮影することで表現されるもので、ある一面に限られたものではなく、普遍的なものです。例えば先生の大多数の作品は、人々により多くのより多彩なインスピレーションを与え、人生の様々なありさまに対して直感的に感じ取ることはできるが言葉ではなかなか正確に言い表せないような『悟りの境地』に達しています。一般には写真芸術作品がこの境地まで到達することも容易ではないのですが、汪先生の黄山を写した作品は、さらに上の『禅の境地』にまで到達しています。『禅境』とは中国古代の仏教・道教が説いた境地であり、時間と空間を超越した審美的世界と言ってもいいでしょう。そこには場所や時間の制限も、民族や地域の違いによる審美的慣習の差もありません。私は、仏教や道教の説く『禅境』こそ、現代に生きる我々人類が感得しうる、時間と空間、さらに個人の生命をも超越した最高の美の世界ではないかと思うのです。

汪:唐先生のお考えを伺うと大変勉強になりますね。芸術史全体を見てみると、歴史に残る最も生命力に溢れた作品、つまり個人の生命を超越している作品というのは、全て同様ではないでしょうか。古代ギリシャやルネッサンスの時代、あるいはベートーベン・モーツァルトの音楽、モネやゴッホの絵などは、どれも「時代の超越」を果たしているように思います。これこそは人類全体が追い求めている世界共通のものではないでしょうか

唐:『禅境』には、非常に深遠な民族的特質が含まれていると思います。汪先生の黄山を写した作品が西洋の人々に感銘を与え、彼らを驚嘆させたのは、そこに描かれている『禅の境地』が古い文化の伝統に基づいた中国的なものだったからで、東西文化の出会いによって受けた彼らのショックは非常に大きなものだったのではないでしょうか。一方中国人はと言うと、多くの人はそうしたものを多く目にし過ぎていて、禅に対する鋭敏な感覚が失われているため、文化的な感性に優れ、物事を深く考える人でなければより深遠な感銘を受けることはできなくなってしまっているようです。智慧のある者だけがその智慧をかき立てることができるというわけですね。先生の作品もまさにその通りで、最初は印象をうまく言い表せないのですが、しかしその美しさは確実にこちらに伝わり、何とも言えぬ奥深い感動を与えてくれます。こうした観点から、先生ご自身が撮影の美的追求とそこに託されるものについてお話いただけますでしょうか。

汪:これは、何を以て美学、芸術と称するかという問題になってきますね。私は日本やアメリカにきてから、これまで以上にそれらに対する概念がはっきりしなくなってきた気がします。私個人的の考えとして、芸術とは感動であり、真善美を讃えるものでなければならないのではないかということです。それがたとえ醜いものの暴露であっても、本質的には人間の真善美に対する憧憬、探求心をかき立てるものであることに代わりはないのです。私は、こうした観点を自分の芸術的実践のモットーとしています。人間が動物と異なるのは、精神的なものを求める点であり、もしも真善美に対する欲求が失われたなら、人間としての存在意義もなくなってしまいます。したがって、私が芸術活動に従事しているのも、本能的にこうした価値観に基づいて創作をしているのであり、20年もの間黄山を撮り続けてきたのです。この20年間、実践の中で絶えず反省をしながら、少しずつ自分のスタイルを作り出してきたわけです。

唐:かつて、先生は少年時代に黄山の最高峰に登られた時のことをお話しになっていましたが、四方に連なる峰と連綿と続く雲海、かすかに見え隠れする松の古木や滝に囲まれた静寂の中で、先生は何かの「声」が呼びかけるのをお聞きになったそうですね。先生を黄山の雲海に呼び寄せるその声は、垂れ込める雲や連なる峰々や遥々空から聞こえるようでもあり、また自分の心の中から聞こえるようでもあったということです。私は、これはきっと大自然の何らかの兆候や気象現象と先生の生理的・心理的・思想的な独自性がうまく結びついて共鳴し合い、そうした神秘的な呼び寄せる「声」になったのではないかと思います。ロマン・ロランが『ジャン・クリストフ』を執筆した際にも、だだっ広い山の自然の中で同じように心と大自然との共鳴を感じたそうです。それはある種の幻覚かもしれませんが、また人の内部循環と外部の大自然の循環が交わり合ったものかもしれません。

汪:確かに、あの時にはそうしたものを感じました。他の芸術家でも、私とはまた別のインスピレーションを黄山から受けるということはあり得ると思います。しかし黄山は中国人の美の特質を最もよく具現している場所ですから、黄山の様々な美の中にある部分が当時私の個性的な部分と共鳴したということは考えられますね。当時私はまだ芸術の実践については何も判っていない若者でしたから、あれは私の本能が引き起こしたことだったのかもしれません。あの時そうした偶然の出会いがなかったら、私はたぶん黄山をライフワークとする写真家の道には進んでいなかったでしょうから、あれは運命的な出来事だったとも言えます。

そういえば、私は以前から中国哲学の中の「気」の概念について大変興味を持っていたんです。中国の老荘哲学の中で言われる「気」の概念は、西洋の科学で説かれる「気」の概念とは全く異なっていますよね。中国では「気」は宇宙万物を構成する最も基本の要素であるとされていますが、西洋の物理学では「気」は原子や分子などによってできた一種の物質としてしか考えられていません。では「気」とは一体何なのかということになるのですが、あの時私は黄山の風景と向かい合いながら確かにその「気」の存在を感じていました。そこに見られる気勢や気韻などは、全て「気」によるものであり、「気」の律動や波長さえ感じられるのです。また、一人の芸術家、一人の人間として、私自身の体の中にも「気」は存在します。同じ自然環境の中でも、人それぞれの体内にある気が異なるために、自然界の気に共鳴する人も共鳴しない人もいるのではないでしょうか。なぜこう言うのかというと、あの時私が震えるほど感動したのは、私の「気」と大自然の「気」が強烈に共鳴し合ったためで、そのようになったのはすでに思考ではなく感覚によってショックを受けていたと思うからです。黄山で撮影をしていると、雲はまるで神が絵筆を揮ったかのように刻々と変化していきます。どの瞬間にシャッターを押したらいいか、どんな画面が私の心の中の黄山と最もぴったりしているかの判断は、本能と気が共鳴したと感じたときに自ずから下されるのです。

唐:先生が今お話になった「気」については、私も全く同意見です。西洋では「気」は物理学・化学上の概念ですが、中国の伝統文化においては非常に幅広くかつ複雑な概念です。中国医学はもちろん、絵画や書道、文学に関しても「気」が論じられ、「気象・気数(運命・天命の意)・気運」といった言葉があるように、人間や国家の命運・宇宙の万象も「気」と関連づけられています。人類の発展の歴史と文化史が証明するように、一つひとつの生命の存在は全て自然の中で生み出されたものであり、それぞれの生命体の中には小さな「気」のシステムが形成されています。これが「内的循環」と呼ばれるもので、内的循環は人の生理的・心理的特性を決定づけます。こうした内的循環は、さらに大自然の持つ外的循環と共に大きな循環システムを構成しているのです。文学や芸術的創作の誕生は、こうした内外の循環の千変万化と密接な関係にあるのではないでしょうか。芸術家の情緒や感覚・才能・インスピレーション・思考・心理活動などの全てが、こうした「気」と密接に関わり合っているのです。もちろん、こうした「気」に関する理論はさらに深く研究されなければなりません。 「気」は神秘的なものではありますが、確実に存在する重要なものであることは間違いないのです。

汪:それについては私自身、創作のインスピレーションとは、作家と創作対象の間に一種の「気」の循環とレゾナンスが生じた時に生まれるものではないかと感じたことがあります。すばらしい芸術作品とは、芸術家と創作対象の間の「気」の交流と調和の産物に他なりません。その中には、確かに内的循環と外的循環の微妙な関係もあるでしょう。昔の中国の絵画論に言う「気韻生動」とは、内外の「気」のレゾナンスによってもたらされるものと言えるかもしれません。そうしたレゾナンスがあるからこそ、その芸術作品は見る人を感動させることができるのです。それが、唐先生のおっしゃる内的循環の「気」と作品の「気」がレゾナンスしたということなのではないでしょうか。「気」は互いに作用し合うものなのです。私自身について言えば、黄山との20年来の交わりがあり、創作の過程において確かに黄山の持つそうした「気」の循環が私の美的感覚を育て、情操を陶冶し、審美眼を与えてくれたように思います。すなわち私自身の内的循環を変えたとも言えるでしょう。芸術家の到達する最高点とは一体何によるものなのでしょうか。私は、それは「気」から生ずる一種独特の感性だと思います。すばらしい芸術が人々に与える衝撃的な感動は主にそこから生み出されるものであって、決して絵画の技法や写真の技術によるものではないと思うのです。

唐:我々が論じている「気」は、絵画・書道・写真・音楽などの芸術を文学とつながったと思います。文豪・巴金はかつて、「文学の最高の境地には技巧は存在しない」と語ったことがありますが、この言葉が全てを語っていると思います。我々はかつて「創作の源は生活体験である」と言っていましたが、この言葉の持つ基本的な意義は確かに真理です。しかし、同じように豊かな生活体験を持っていて、共にその生活体験の中から生まれた作品であるにも関わらず、なぜ個々の作品に質の高低や精細さと粗雑さ、美醜、優劣などがあるのでしょうか。原因はいろいろ考えられますが、その一つが作家・芸術家の天稟と芸術的感性という普段あまり重視されない問題なのです。

汪:その通りですね。しかし「気」は生まれ持ったものだけではなく、後天的な訓練や、創作対象や芸術品との間の相互作用の中からも生まれてくるものだと思います。私と黄山の関係もそうです。ですから、黄山を理解するのに20年もの歳月がかかったわけです。その時間を、私は黄山をより深く理解するためと同時に、自分自身を理解するために費やしてきたのです。この20年は、自己を再認識し、昇華させる期間だったと言えます。私だけが持っている個性的な感覚とは何か、私だけの芸術言語とは何か、それを求めて20年を費やしたわけです。さきほど、芸術作品と人との関係について話が出ましたが、それも一つの「気」だと思います。芸術作品と観客とが交流し、そこから観客が感動を受けた時、作品と観客との間に生ずる「気」の空間、それを私は「気場」と呼んでいます。「気」は中国哲学の基本概念であり、「場」はというと物理学の概念です。「気」はまた広大な空間であり、この世の森羅万象はことごとく「気」によって形作られています。具体的な例を挙げれば、人は誰でも体の回りに「気」の空間を持っており、成語にある「話が合わなければ一言でも長く感じられ、心の通じ合った友と酒を酌み交わせば千杯飲んでも飲み足りない」というのはまさに「気」が合うか合わないかということを言っているのです。作家と芸術作品の間も同じように、どの作品に対して満足感を覚えるかも「気」によるもので、その作品を見ていて気分が良ければ作家はそれを世に出すというわけです。

私は美術方面の専門の大学を出ているわけではありません。かつて映画大学の学生たちに講義をした時、こんなことを言ったことがあります。

私は最初、自分が夢にまで見るほど入りたかった芸術専門大学で勉強している皆さんを羨ましく思っていました。しかし、今では自分が入らなくでよかったと思っています。芸術の大学で専門の教育を受けなかったため、私の頭の中には既成の枠組みというものが全くありません。専門の学校に進学すればその分野をより深く学べるし、著名な先生や著書とも出会えるでしょう。しかし最大の問題は、先生や巨匠達の作り出した既成の型にはまってしまう危険があることです。学生は懸命に知識を吸収しようとして、同時に知らず知らずのうちに自分を縛ってしまうのです。従って、芸術を専門に学ぶ学生にとって大きな課題は、どうやってそこから抜け出し、どのように束縛を解き放って自己を再構築するかだと思います。芸術の最も本質的な部分は、創造であって模倣ではありません。この世界にこれまで存在しなかった新しい言葉を創り出し、かつそれが美しいものであって人に感銘を与え、心を動かすことができるものです。そしてその言葉もそれによって初めて生命力を持つことができるのです。ピカソも新しい言葉を創り出した人の一人です。私がアダムスの写真を大好きで、彼を尊敬しています。しかしもし私が彼と全く同じ道をたどったとしたら、人はそれを汪蕪生の作品ではなく、アダムスの作品だと思うに違いありません。

唐:画家・斉白石が「我に学ぶ者は生なり、我に似せたる者は死なり」と言ったのもまさにそういう意味ですね。彼に学ぼうというのは新たな創造に繋がるけれども、彼の真似をしようとすれば、個性が失われ、自我をなくしてしまいます。

汪:黄賓虹や斉白石と同じ道をたどろうとする人は少なくありません。一生そのように人のたどった道を歩き続けて満足している人もいますが、それは自分の芸術生命を浪費していることだと思います。ですから私はアダムスの道をたどることはしませんし、美術学院の学生たちにとっても、既成の型から抜け出すことが最大の問題となってくるのです。

唐:それは美術専攻の学生に限ったことではありませんね。「入るは易く出るは難し」という言葉があるように、全ての高等学府で学ぶ志ある若者が、同様の問題に直面しているのではないでしょうか。優れた師の精神を受け継ぐにも苦労がありますが、さらに独自の見解を生み出し前人がしたことのない価値ある新たな貢献をするには、より大きな献身的な精神力が必要になるでしょう。

汪:ですから、創造には強烈な個性が必要だとつくづく感じます。私はこれまで黄山を撮り続けることで、私独自の世界を模索してきました。私は強烈な個性の持ち主ですし、黄山に対する気持ちも深まる一方です。私が知りたいのは、黄山が実際にどんな物質からできているかではなく、私の心の中の黄山は一体何なのかということなのです。このために私は20年を費やし、自分だけの言葉を見つけ、さらに私の作品を見る人とそれを共感できる道を模索しているのです。私にとっては、大学の物理学科で学んだ論理的思考法が、大変良い訓練になっています。私にはまさにそれが必要だと思います。芸術家が創作対象から感動を受けることはできても、それをどうやって他の人に伝えれば良いのでしょうか。多くの芸術家は往々にしてその方法を見出すことができません。それには感性が必要ですが、また理性的な思考も必要です。頭の中に既成の型が少なかったためか、私には敢えて枠を破る度胸があったし、私は直感に頼るタイプで、その直感力は何よりも生命力のある大切なものです。中国人は絵を見る時、その美を鑑賞するだけではなくそこから精神的な陶冶を得ようとします。中国画を鑑賞する人は、そこに描かれた風景の美しさを楽しむと言うより、芸術家の品格・人格を味わっているのです。「絵は人なり」と言うように、画面を通じてその人が追求している情操を見、作品と「気の対話」をすることで自己の内的循環を変えようとするのです。中国の文人は、西洋の画家に比べそうした点をより重んじています。一方西洋の芸術では、科学性がより重視され、理性的な目で自然を捉えています。欧州風景画の多くがこれに当てはまります。しかし、中国の芸術が表現しようとしているのは「天人合一」の境地なのです。

唐:「天人合一」は古代中国の文化的エリートたちが信奉し、追求した精神世界ですね。ここで言う「天」は単に天地自然や自然の規則、天体万象などだけではなく、実際は芸術作品をも指しているのだと思います。芸術作品はある程度に到達すると、人とも一体化していますね。その絵を見れば描いた人が判るというのはなぜでしょうか?たとえば同じ大海原を表現するにしても、作家の揚朔は海をよく観察し、小蟹がどのように砂浜の穴から這い出してきたかにまで注意を向けて、精密な目で海を捉えています。一方劉白羽などは戦争の烽火の中から生還してきた人ですから、彼の大海原の咆哮の描写からは、すぐに革命闘争が連想されます。また冰心が描くのは、母の愛・人類愛に満ちた海です。
汪先生の作品にも同じことが言えます。なぜ汪先生の作品は他の人のものとは違うのでしょうか。見てすぐ判るのは、西洋から伝えられた写真技術を用いて東洋の芸術を生み出している事ですが、しかしそれはまた中国の伝統的な水墨画とも異なっています。先生の作品は、写真として全く新しい驚くべき視点を持っている上、画面上で虚と実が変化万千、陰と陽が相交わり、全体として高雅な品格で気韻が満ちあふれた深遠な境地が表現されています。そしてそこには魂の中の幻想世界が創り出され、ついには「禅」の境地にまで到達しているからなのです。

汪:それは私自身の人生体験や、そこから生まれた世界観とも関係がありますね。まさに「絵は人なり」です。

唐:禅の境地は一見捉えがたく、また超脱なようですが、実際は過去の中国伝統文化の中における知識人たちの二つの状態を反映していると言えるのではないでしょうか。一つは皇帝が愚昧で奸悪が横行している中で、文化人自身の抱負や才能が挫折したため世を避けて隠遁生活に入ったケース、もう一つは険しい社会と人生において群を抜いて優れ、且つ気高い知識人が、人生を見極めた上で精神の自由や永遠の生命、超俗的で自由な精神境地を求めたケースです。ともかく、禅の境地と芸術家の生活・個性・精神には相通じるものがあるのは確かです。

汪:全くその通りです。私の人生も決して平坦ではなく、これまでに様々な経験をしてきました。私は今まで特定の宗教信仰を持ったことはありませんが、しかし自分自身のことはよく判っているつもりです。

唐:その平坦ではなかった人生をかいつまんでご紹介願えませんか。

汪:具体的に言えばこの数十年の間には実に様々な出来事があったのですが、今過去を振り返ってみると、その多くは誰のせいでもなく自分の強烈な個性が引き起こしたことのように思えます。個性が強い上に自分の人生観と理想的な世界観のせいで、自分のいる環境に適応することができなかったのです。例えば、私は社会の流れに流されることが大嫌いで、流れに逆らうことのできない文化人は本物ではないと思います。私は頑固で個性が強いために常に流れに棹さしてきたので、自然と抵抗も大きくなってしまうわけです。「文革」が始まった時、私は反革命と見なされて隔離され審査を受けましたが、それは普通の人にはとても耐えられない状況でした。当時私はたった20歳だったのです。私は校内で反革命者の第一号として批判されたのですが、当時の圧力と私を飲み込んだ災難といったら、普通の人には想像もつかないほどひどいものでした。私の後にも第二、第三の反革命がつるし上げられましたが、何人もの人が自殺しました。鉄道のレールに横たわって命を絶ったり、動脈を切って部屋中血だらけにして死んでいった人もいました。しかし、私はそれをしのいできました。

唐:本題に戻りますが、先生の経歴全てを知っているわけではない私でも、先生の作品に見られる禅の境地から、先生のそうした平坦ではない運命を感じ取ることができます。もちろん、そうした感じは先ほど申しました第三段階の悟りの境地に属するもので、禅の境地は第四の段階です。私は、禅の境地は芸術の最高の段階だと思っています。なぜならそれは人類に共通した、審美的な精神の境地だからです。この世界にあっては、誰しも社会の不調和から全く遠ざかることはできません。中でも文化人、とりわけ精神的なものを生み出す天才はなおさらです。そういった不調和は、ある人では物質的なものとなり、ある人では愛情面的なものとなる、またはある人では生理上のものでもあれば、ある人では精神的なものでもあるが、優れた芸術家は主として精神的な不調和を感じるものです。トルストイの家庭は裕福でしたが、道徳の上で完璧な自己を求めたために常に精神的苦痛があり、さらに妻と折り合いが悪かったせいで、老人になってからも家を出なければならなかったのです。ついにトルストイはある駅でその生涯を終え、彼の精神的悲劇は後世まで残ることとなりました。このように、精神的な孤独は偉大な芸術作品誕生のための必須条件なのです。ですから、先生と先生の世俗に対抗する力は黄山のように揺るぎないもので、静かな中に動があり、力があり、動と静が渾然一体となって、陰陽のように互いに補い合い、照らし合って輝くのだと思いますね。

汪:ええ、確かに私の作品の中に山は決して動くことなく屹立していますね。そういえば、私が日本に来たばかりの時も本当に大変でした。みんなは私に商売をやれと勧めたのですが、商売は私の性格や求めているものとは合いませんでした。私は自由を愛し束縛を嫌う性格ですから、誰かボスの下で働いてその命令を聞くといった生活は私にとっては耐えられないことでした。そのために国内にいた時にずいぶん苦労もしました。よくも「組織を無視し、規律も守らない」とか「気ままでルーズだ」とか、「将来大変だよう」と言われました。しかし、今になってみるとそれはみな当たっていたのかもしれませんね。以前、ある上司にこう言われたことがあります。
「君は気ままでルーズすぎるから将来きっと苦労するよ、今から直しておいた方がいい、頭の上に生えた角は少し矯めておいた方がいいね。」
しかし私はこの言葉には結局一度も耳を貸しませんでした。そして後になって、やはりこの上司の教訓を聞かなかったのは正しかったと判ったのです。私という人間は何が何でも自分で道を切り開こうというタイプで、その結果今あるこの道を切り開くことができたのです。もちろん、やみくもに切り開いてきたわけではありません。私は自分自身の芸術の天性と理性を頼りに道を切り開いてきたのであり、まず何かの枠組みがあって、それを通してあれやこれやを表現しようとしてきたのではありません。この20年間、生来の資質や感覚を頼りにやってきた私の精神は、作品の中に表現されていると思います。

唐:陶淵明に「若くして俗韻に適さず、性もとより丘山を愛す」という詩の一節があり、また李白もその詩の中で「どうして眉を上げ腰を折って権貴に仕えることができるだろうか、それでは心楽しくない」と言っていますが、いずれも天性の然らしめるものですね。しかし後世の俗物どもは、詩や絵画を虚名栄達の道具にしてしまい、わざと難しくわかりにくいものにしてこねくりまわした挙げ句、文学芸術を台無しにしてしまいました。

汪:取り繕いやわざとらしさは、現在文学や芸術に従事している多くの人に共通した病気ですね。金銭のためや権力にこびへつらうための創作が俗悪なのはもちろんですが、たとえ自己表現のための創作であっても、時流に乗じたり西洋で流行しているものの模倣は、やはりいくら努力しても良いものを生み出さないだろう。そういう人たちは、芸術とは何かということが判っていないと言っていいでしょう。芸術を創り出すのに自分の天性に背いていいはずがありません。

唐:以前北京に行った時、文芸新聞で働いている古くからの友人を訪ねたのですが、彼の家に鄭板橋風の掛け軸が飾ってありました。その友人は名の知れた美術評論家で、文学の知識もなかなか大したものです。友人にこの書をどう思うかと言われたのでよく見てみると、どう見ても鄭板橋の真筆ではないんです。書かれている文字は鄭板橋のものに似ていますが、鄭板橋の持つ気と精神が見られないのです。この書を書いた人間の性格は、絶対に鄭板橋とは違います。私がこう言うと、友人がどこからそれが判るのかと尋ねてきたので、筆の運び、特に字間・行間の霊気と品格から見て取れると答えました。鄭板橋の字を真似るのはたやすいことですが、その精神を写し取るのは容易なことではありません。まさに「字は人なり」です。鄭板橋の学識・経歴・個性・気質・気概があって初めて鄭板橋の字を書くことができるのです。その掛け軸の作者が長年書道の研鑽を積んだ努力は誉めるべきですが、性格・個性・気質などが異なるために文字がわざとらしくなってしまったのですね。鄭板橋の字はそうなろうとして得られるものではなく、まさに天人合一の結果なのです。

汪:鄭板橋の感情や性格・理想などは全て文字の上に表れていますね。彼の性格や気質・経験などがなければ、決して同じ字を書けないものです。芸術創作は無理に求めてできることではなく、そこには必ず自我が必要であり、またそれは何の捏ねりもない心からの叫び、心の赴くがままの感情の吐露、心から自然に湧き出した泉のようなものでなければなりません。名人の模倣をすることは最初は必要かも知れませんが、いつかはそこを越えなければならないのです。さもないと、自我そのものを失ってしまいます。

唐:大芸術家たるもの、『超前意識』(時代を超えて先を見る意識)が不可欠ですが、そうした意識を持った芸術家はえてして孤独なものです。ですから、大作家や大思想家、大芸術家といった人々には皆決まって精神的苦痛があるのですね。しかし、作家や芸術家には『超前意識』が持っていないなら、平凡な作品しか創れないのは確かです。

汪:ええ、はっきりした哲学と理念を持たない芸術家は、流れの中に漂っていることしかできませんね。私はこだわりが強く頑固ですから、自分が人生のあらゆる問題に対して上げた叫びを表現せずにはいられないのです。
ところで、ここ数年私はことあるごとに「ポスト現代文明」の考えを話しています。今後いつからこのような時代がやってくるかは判りませんが、人類がこの方向に向かって進むべきであることは確かだと思います。男女の関係についてまで、私はとても「荒唐無稽」なことも考えているのですよ。

唐:中国の伝統文化では、男女はすなわち陰と陽、動と静、剛と柔の関係だと思います。両者の間では互いに補い合い、融合し合い、影響し合うことができますが、そこには男女という質による法則性がなければなりません。質の法則性に逆らったならば、それは規律に逆らったことになり、罰せられてしかるべきではないでしょうか。

汪:万物は全て陰陽の組み合わせが基礎になっています。

唐:陰と陽が互いに照らし合ってこの世界を作っているのであり、それは天の作った美であって、それこそが天地や大自然を生き生きとさせているのです。

汪:黄山を誰もが美しいと言い、憧れますが、絵画や写真に描き出された黄山は人それぞれ皆異なります。これは、個人の資質のなせる技だと思います。
唐先生がおっしゃる禅の境地は、芸術家が創造の中に求める共通の美ですが、それはまた一人一人全く違った個性美でもあります。一つの時代、一つの民族は同じ美を共有できるかもしれませんが、唐先生のおっしゃる禅の境地は時間と空間を超越した美であり、作家や芸術家が終生追い求めなければならないものなのです。

唐:自分の追い求めるものがある作家や芸術家は、それを独自の言葉で表現しようとするものですが、するとそこに自我の探求という問題が生じてきます。この世のありとあらゆる事物、ありとあらゆる表現方法の中で、一体どれが自分の気質や思想、才能に最も適しているのか?それは度重なる実践の中から見出していくしかないのです。見つけだすには十年かかる者もいれば20年かかる者もおり、中には一生かかっても見つけることができない人もいます。また、やっと見出しても、政治的圧力や寿命によって途中でそれを放棄せざるを得ない人もいます。自我の探求とはすなわち、芸術の生命を探求することです。私は、大芸術家や大作家がすばらしい作品を生み出すことができたのは、彼らが自我を見出したからに他ならないと思います。

例えば、朱自清は若い頃詩を書いていましたが、後に散文に転向しました。つまり彼は、散文こそ彼の才能を発揮できる分野であることを見出したわけです。また詩や小説、散文などを書いてきた冰心は、結局最後に散文に落ち着きました。先生と同郷でもある大学者の胡適は口語体の詩文の提唱者で、口語文に関する胡適の理論は時代を変えたといっても過言ではありません。しかし、彼自身が書いた口語体の詩は口語と文語が入り交じり、何の味わいもないもので、そこには独自の境地もなければ大いなる「気」の気配すら感じられません。つまり、胡適の性質や気質、学問的素養は詩ではなく学術研究にこそ適していたのですね。それでも胡適は詩集を1冊出版していますが、やはり中国において現代詩の基礎を作った最高の詩集といえば郭沫若の『女神』を置いて他には考えられません。郭沫若は新時代の詩風を切り開き、その自由奔放でエネルギーに満ちた詩は、あの時代の息吹や精神とぴったり合ったのです。つまり、郭沫若の気質や性格、感情、生まれつきの才能などは詩作に最も適していたわけです。郭沫若には劇作や散文、小説、学術的著作などもありますが、そのいずれにも詩的なロマンチシズムや空想、抒情、激情、誇張などの特徴を見出すことができます。ですから私は、今後汪先生がさらに芸術の道を究められるに当たって、ぜひとも引き続き自分の生まれ持った性質との合致ということを重視していただきたいのです。目がくらむばかりに色とりどりの事物に溢れた現代にあっては、様々な障害の影響を受けやすいですし、特に名声を得た後はどうしても世俗的な事柄も多くなってしまいますからね。

汪:唐先生は美学と文学史の研究がご専門だけあって、さすがにうまく要点を捉えてまとめられていますね。私自身の人生も全く先生がおっしゃった通りです。私は最終的に写真の道に進みましたが、もともと熱中していたのは写真ではなかったのです。写真より絵画にずっと関心がありましたし、何よりも熱中していたのは舞台演劇・映画や音楽で、文学も大好きでした。私の大好きな詩人で、すばらしい文才を持ち、流れるような詩をお書きになる方がいます。その方は私と会う度に「汪君、おまえは文学をやるべきよ」とおっしゃるんです。私自身、文学はとても好きですし、書くことに興味も心動かされるものもあります。しかし私は自分のことが判っているつもりです。この世界には三種類の人がいると思います。一つは『得意忘言』――書物の要領やフィーリングや真髄を吸収し得るけれども、具体的な言葉を憶えきれない人。もう一種類は『得言忘意』――本の中の言葉や数字などばかりを記憶できるが、その肝心な精神を全く理解しない人。そして最後の一つが『得言得意』――具体な言葉とそのエッセンスを両方とも吸収できる、最も理想的な人です。私は、評論であれ小説であれ、すべての文学に携わる人であれ、やはり『得言得意』なのが望ましいと思います。残念ながら、自分のことは『得意忘言』と思います。まあ、私も子供の頃から本を読むのは大好きで、ロシアの古典文学を中心に、ロマン・ロラン、マーク・トウェーンなど欧米文学も、高校生くらいまでは手当たり次第にありとあらゆる本を読んできましたが…。

唐:先生のお撮りになった黄山の写真を拝見していると、唐詩や宋詞の世界を感じますね。画面に表れた詩情やあの品格を見ていると、陶淵明・李白・王維・李賀などの詩を連想します。また、琴や琵琶などの奏でる古典音楽を聞いているような気もいたします。

汪:中国の古典詩といえば、お話ししたいことがあります。私は日本である俳人の方と知り合ってもう十数年になるのですが、この方は十年来のつきあいの中で、私のことを時流に流される人間ではないと見抜いて下さいました。そして、日本人が私の作品が好きなのは、私の作品が中国文化の神髄を体現しているからだとおっしゃったのです。日本文化は古くから中国文化の恩恵を受けてきましたが、日本は外国の文化を取り入れるとき、自分の必要なものだけを吸収してきたのだそうです。日本は中国文化の中では主に唐・宋の時代の文化を吸収し、それらは日本文化に大きな影響を与えてきました。禅をはじめとして日本文化の中では「侘び寂び」を大変重んじますが、日本の俳句や短歌なども皆、唐詩・宋詞から影響を受けているのです。建築や美術、文学などいずれも唐、宋の影響を強く受けています。中国文化で最も重んじるのは「写意」です。唐詩・宋詞ではわずかな字数と練りに練り削りに削った言葉で、非常に深遠な思想や境地、豊かな感情を表現しています。これは中国文化の特徴です。その方は、私の黄山の写真はあたかもそうした文化の真髄が表れているとおっしゃるのです。私の写真は、様々な色は全て捨て去り、最も簡素な白黒一色という、山の岩肌まで余分なものを全てそぎ落とした最も単純な色彩言語で、最も深遠な境地や最も濃い感情を表現しているからです。私は『得意忘言』な人間なので、ここで唐詩や宋詞を暗唱できないのが残念ですね。だから私は文学の道に進まなかったんですよ。小説である人物やある事件を描写するには、時には降っていた雨の一滴が地上に落ちてどのように水しぶきを上げたかにいたるまで、細部を具体的に書く必要がありますから、作者は物事の細部を事細かく記憶しておかなければなりません。さらにその記憶とその時の感覚を、時には古典などの引用を交えた豊富な語彙で表現しなければならないのです。私にはそうした才能は欠けています。感じることは深くまた多いのですが、その日その人がどんな話をしたかとか、どのような具体的な言葉や動作をしたのか、といったことは私には言葉で私の感じたことを表現することができません。

それでは私はなぜ写真の道に進んだのかについてお話ししましょう。私は大学では物理学を専攻していましたが、実は物理が好きではないので自分でも進む道を誤ったと思っていました。そこで大学を卒業した時、別の道に進む決心をしたのです。私は何とかして少しでも芸術と近い仕事を探そうとし、地方の放送局で制作やアナウンスの仕事を見つけました。ちょうどその頃、画家の友人たちが私に美術の道に進むことを進めてくれたのですが、私は専門的美術訓練は何も受けていませんでしたので、美術に進むには基礎力が不足だと思いました。そこで私は臨機応変に考えることにしたわけです。撮影と美術は共に視覚の芸術であり、使う道具は異なるものの両者には多くの共通点があります。そういうわけで私は絵筆に代えてカメラを持ち、写真の道に進むことにしたのです。写真と絵画の違いは道具だけではなく、本質的な違いがあることに気づいたのはその後何年も経てからでした。しかしそれも天の定めだったのか、結局私は自分に合った道を見つけることができました。かたくなで懸命な探求の中で私は何度も壁に突き当たり、長い時間を費やしはしましたが、ともかく自分に合ったものを見出すことができたのです。まあ、それも今でこそ自分に合っていると思えるのですが、いろいろなわけがあったのでやむなく進んだ道でしたから、当初は最適な選択とは思いませんでした。しかし、一旦進んだからにはその道を最後まで進み、成果を上げたいとは思い、こうして20年やってきたわけです。

芸術家が自我を探し出すのは容易なことではありません。見つけだせたとしたらそれは極めて幸運なことなのです。人によっては一生探し続けても見出すことのできないまま人生を終える人もいます。これはとても不幸なことですが、そうした人は少なくありません。自我の追求は芸術に限ったことではなく、あらゆる分野で成功しようとする人には共通の問題だと思いますね。

唐:話は少々広がってしまいますが、中国に限らず日本や西洋を含めて、全体として我々の時代において、芸術や美学にはどんな傾向があるとお考えですか。

汪:全体として、現代は文学、芸術の迷える時代だと思います。西洋でも日本でも(日本は東西の間に位置する特殊な国だと思いますが)アジアにおいても、芸術は共通する問題を抱えているのではないでしょうか。20世紀は曲がりくねった道であり、そこに様々ないわゆる現代芸術の類や多くの流派が押し寄せています。人類は近代の工業文明によって次第に自然から離れ物質化してしまい、人々が工業文明という巨大な機械の一つの部品にしか過ぎなくなってしまいました。精神はどんどん物質に押され、どんどん萎縮して一種の病的状態を呈しています。もちろんこれは私の考えであって、偏りがあるかもしれませんが、私は人類が現代文明に適応できず、それに衝突してしまっているのではないかと思います。それは物質文明が人類の精神をねじ曲げ、圧迫した結果と言うこともできるでしょう。本来人は自然と融和してきたのですが、自然から離れ急速に発展する工業社会に突入して以来、我々の中に一種の病的な心理が生まれてしまったのです。いわゆる現代芸術とは、そうした病的心理が芸術の上に反映されたものだと思います。20世紀芸術の最大の特徴として「新」と「奇」であること「奇抜性」が考えられます。「新しい」イコールすばらしい、これはとんでもない勘違いです。無論、芸術創作における独創性は非常に大切なことです。後世まで残された巨匠たちの作品はみな、自ら切り開いた独自の道を歩み、己のスタイルを築き上げてからこそ、世界を震撼させ、永久不滅になり得たのです。しかし、ここで忘れてはならないのは、これらのものには一つの重要な大前提が必要になります、それはまず良いもの・優れたもの・感動を与えるものでなければならないのです。20世紀の芸術にはこのもっとも重要な大前提が忘れられているようだ、これは悲しむべきことです。

現在は世界そのものが混乱しているため、芸術に対する定義も混乱してしまいました。芸術とは何でしょうか。私たちはそれを複雑にし過ぎないようにしなければなりません。さもないと、芸術はその本来の意味からかけ離れ、完全無意味な行為になってしまいます。私は、芸術とは真善美によって人に精神的な陶冶を与えるべきものだと思うんです。たとえその過程で醜い状態をさらしても、最終的には真善美に対する人類の憧れと求めを表現すべきものです。

さて、これまでお話ししてきたのは一側面であって、20世紀には次のような芸術家たちも存在しています。彼らはかたくなに伝統を守り、固定した枠の中から外へ出ようとせずまた出ることもできない人々で、それは先のない芸術の傾向だと言えます。芸術家はまず自分の感情を飾り立てることなくまた包み隠さずに吐露しなければなりません。そして独自の創造をしなければなりません。独創性のない模倣というのは芸術家のやることではないと思います。彼らの作品には昔と同じの構図や筆遣いで、自分の感情は入っていませんし、新たな探求も、新たなスタイルも芸術言語もありません。しかし、そうした人々はまた多いのです。芸術家が絵筆を揮って花や鳥、果実などを描くのはなぜなのでしょう。絵筆はただの道具であり、筆遣いは技術に過ぎません。それは芸術家の表現のための手段であり、芸術家の感情や探求、新しい芸術の理想を表現するためのものなのです。芸術家は、絵筆の技巧を唯一の見せどころにし、最終目的にしてはならないのです。しかし多くの人々は、自らの技巧を懸命に見せようとしています。彼らは技術を芸術だと誤解しているのです。これも世界に多く見られる傾向です。文学・芸術には新しいものを創り出すことが要求されています。これは世界の良識ある芸術家の共通の目標です。古いしきたりにとらわれ、かたくなな姿勢を崩そうとしないのは優れた芸術家とは言えません。

唐:流行や時流を追いかけたり、かたくなに古いものを守ろうとするのは、どちらも惰性ではないでしょうか。時代の惰性、民族の惰性、個人の惰性ですね。そうした人々は流れに乗り、騒ぎに加わることに慣れ、既存の技巧を継承することに疑問を抱かず、新しい意識や独創的な考え、エネルギーに欠けているのです。創造性は真の芸術家にこそあるものです。作家や芸術家の中には、技術力にも才能にも欠けているのに自分が文学をリードして歴史に名を残そうという気持ちだけは強く、故意に目新しいものを作り上げたり、あちらこちらから少しずつ芸術のかけらを引っ張り込んで団体をつくり、病的なものを作り上げたりする人が少なくありません。例えば詩句を並べて何かの形を作り上げる「宝塔詩」だの「靴詩」だの、たった一文字を書いてこれが詩だ、と言っているものもありますね。また、全編全く句読点がなく「句読点なし評論」と自称している評論もあります。またある小説は話の筋も言っていることも誰も理解できません。さらにはガラスの破片や腐った木片、錆びた鉄片、破れた布などを釘で一カ所に止めた「絵」や、果物をカンバスに投げつけたり、馬や犬の脚をカンバスに描きなぐった「絵」などなど…。

愚かなかたくなさと時流に乗ることは両極端ですが、共に20世紀の文学芸術を全体として人類のなし得る最高のレベルに到達させ得なかった原因であることは同じなのです。もちろん、20世紀には高度な工業文明と物質文明が存在しています。しかし物質文明の前に、いかに多くの作家や芸術家が常軌を逸した浮かれた気持ちになって、自分のあるべき価値を見失っていったことでしょうか。人は物質化してしまうとその人間性までも退化してしまったり変形してしまうようです。するとそこには退化し変形した芸術が誕生することになります。さらに第二次世界大戦によって人類が受けた精神的・物質的な損害もまた、心の上から消し去ることのできないものです。

20世紀を振り返ってみると、確かに世界全体を見れば一部に独創的な芸術も誕生しましたが、全体を見ると決して独創的な時代、芸術の巨人を輩出した時代だったとは言えず、どちらかというと迷える時代だったように思えます。さもなければ模索の時代とも言えるでしょう。文学・芸術・美学の理論を見ても、完全に系統だった新たな理論体系がうち立てられてはいません。「巨人」の誕生ということでも、建築・数学・絵画・物理学・哲学など多くの分野で卓越した巨人はほとんど誕生していません。しかし、ルネッサンスや18,19世紀にはあれほど数多く誕生したのです。中国の「五四運動」は政治的・思想的・文化的に極めて大きな衝撃でしたが、反封建の姿勢が不徹底でした。当時の文化界には古今に精通し才気溢れた多くの傑出した人物が現れましたが、彼らは往々にして一つの分野またはごく狭い領域の中でのみ独創的であったり、または今まさに輝こうとする直前に無形・有形の何らかの強大な力によって運命を左右されてしまいました。彼らの人間性もまた強大な政治の力の中で変形してしまいました。多くの才能に溢れた人々が、歴史の法則に逆流する政治勢力や金銭物欲によって利用され、コントロールされてしまったのです。金銭と物欲は動物としての人間の本性を誘惑し、扇動するものであり、政治の影響力と圧力は主に芸術を道具にし、奴隷にしてしまうものです。世界の歴史の中で、ある国の政権が交代した時、必ず新しい思想で国を統一しようとし、政治家は特に自分の思想を市民に植え付けることで、文化人の中にある意志力の強くない人々をコントロールしようとしてきました。しかし文学・芸術にとっては、歴史の法則に逆らおうとする狭隘な政治集団の専制やコントロールはすなわち文学・芸術の堕落と荒廃をもたらすのです。なぜなら芸術そのものが正義と理想、良識を求め、自由な創造と個性の発揮を追求するものだからで、いかなる粗暴な外的圧力や束縛、制限も芸術にとっては全て損害と災難でしかないのです。それは五、六、七十年代の中国も例外ではありません。文学芸術をねじ曲げ異常な状態に変えてしまう最大の原因は、極左政治と独裁勢力による影響と関与で、それは文化的良識と人間性を異常なものにし、才気に溢れ独自の思想と理想を持った多くの優れた芸術家を扼殺してしまうのです。

汪:それは政治と芸術の関係の複雑なところですね。ところで、今日世界には商業文化が溢れています。例えばテレビは現代において最も影響力のある文化道具ですが、商業化されたテレビによって文化は堕落の方向に進んでいるように思えます。なぜならテレビが追求しているのは商業的な効果と視聴率ばかりだからです。文化伝播によって人々の思想をどこへ導くか、つまり視聴率や商業効果を追求するあまり低俗な趣味に迎合してはならないという問題を考えなければならないのです。さもないと人類の文化は堕落してしまい、今日の伝播文化は目も当てられない惨状を呈してしまうでしょう。今やテレビの影響力は極めて大きく、若い世代にとっては学校教育よりもずっと大きいですね。あのような、低俗な趣味に過度に迎合した商業文化が人々をどのような方向に導くかを考えると、本当に心配でいられないです。これ以上ないほど低俗的で下品な人々が、テレビや雑誌でスターを持ち上げ、多くの青少年にとって臥し拝まんばかりの英雄までに仕立て上げてしまっています。これでは世間の美醜が全く逆転してしまっているのです。
中国哲学では節度とか程合いといったことを大変重視し、何事も極端に走ってはならないとしています。民主も度を超して極端になると、文化・芸術をだめにしてしまいます。これは、文化・芸術が損なわれるもう一つの形ですね。通俗な大衆文化が低俗なものになると、多くの芸術家が道を見失い、脇道にそれてしまいます。これは明白な教訓です。

唐:どうしてこの問題を出したかと言いますと、20世紀の文学・芸術界には二大極端が存在しているからです。一つは金銭欲・物欲と極端な自由が文芸に与えたショック及び破壊で、もう一つは思想的独裁主義と文化的独裁主義が文芸を扼殺し、だめにしてしまったことです。これは、人類の歴史の流れを見ても、過去の芸術家の創作の中にも見出すことができます。18、19世紀のヨーロッパの大作家たちは金銭が人の魂を腐敗させる様を描き、人々の心を揺り動かし世界を震撼させました。しかし20世紀にあっては、金銭欲は行くところまで行ってしまっています。金銭万能の考え方や物欲が横行し、芸術を破壊したのみならず人間性そのものを破壊してしまったのです。また20世紀は、ドイツと日本のファシストたちが地球上の平和を愛する良識ある人類に対し宣戦を布告した世紀でもありました。ファシズムの思想独裁主義と種族独裁主義が世界の文化を別の面から破壊したのです。しかし、物事は極端に到達すれば必ず反対方向に進むもので、人々は動物性と人間性、独裁と自由の衝突の中から後者を選択したのです。中国哲学で解釈すれば、世界はやはり陰陽が交錯し合い、矛盾し合っている中で発展していると言うことができるでしょう。

20世紀は中国にとってまさに驚天動地の激動の時代でした。辛亥革命・五四運動・中国共産党の誕生・抗日戦争・新中国建国・文化大革命・改革開放…これらはすべて世界を震撼させ、世界に影響を与えた歴史的重大事件です。文学芸術もその影響を逃れることはできませんでした。20世紀の中国では、思想的・文化的独裁の衝撃が長く続き、文学芸術を大きく破壊しました。一方金銭・物欲による衝撃は短い時間ですが、やはりそれによる破壊は小さくありませんでした。しかし、文学芸術の生命力は人民大衆の中に、発展する歴史の中にしっかりと根を下ろしていたのです。中国の文学芸術の歴史と現状は、軋轢の中でも依然として大きな成果を上げていると同時に、大きな欠落も存在しているといったところでしょうか。例えば曹禺は今世紀中国の最も傑出した劇作家ですが、先日呉祖光氏が重い腎臓病を患った曹禺を病院に見舞った時、曹禺が「自分はもう書けなくなってしまった、力が気持ちに付いてこなくなってしまった」と嘆くので、呉祖光はこう言いました。「あなたにはずいぶんいい時もあったが、しかし政治的立場を示すことが多すぎ、会議が多すぎたのだ」すると曹禺は「確かにその通りだ」と答えたということです。中国の現代史、現代文学史をよく知らない人にとっては、このやりとりはさっぱり判らないかも知れません。また、中国のたどってきた歴史を実際に経験していない若い人々や外国の人々にとっても全く理解できないでしょう。「政治的な立場を示すのが多すぎた」というのは、創作の時間が少なくなってしまったことをも指しますが、その言葉はやはり過去に曹禺が何度も大小の政治運動の道具となり、自分が最も得意とし、熟知し、望んでもいた文学作品の創作に専念できなかったこと、自分の心の中にある生活・社会・歴史に対する独立した考え方を表現できず、人に言われたとおりにしてただ「御上」に従うしかなかったことを言っているのです。その「御上」のやり方が正しかったか間違っていたかはともかく、「政治的態度を表明」を取り繕っていれば保身は果たすことができます。そういうわけで、1949年以降曹禺は40年あまりの間にたった三作しか劇作をせず、そのいずれも往年の『雷雨』『日の出』『原野』のレベルには及びませんでした。

また、名優・趙丹は亡くなる前に書いた文章の中で「あまりにも細かく管理され過ぎると、文学芸術には先がない」と言いました。これを厳しく批判する人もいましたが、実際この趙丹の言葉は政府の文学芸術に対する管理を全て否定しているわけではなく、彼のいう「細かい管理」とは例えば「文革」の時に京劇の登場人物の髪型から服のボタン、つけているバッジにまで管理が及んだようなことなのです。数十年間に文学芸術界は、『管理』されればすぐ息絶えてしまい、『開放』すればすぐ乱れてしまう、と言った状態ですね。

汪:ええ、我々はこうした教訓をよく噛みしめなければなりませんね。中国の文学芸術がこの何十年間受けてきた管理と統制もまた一つの極端で、その間多くの優秀な芸術家が十分に才能を発揮できずに終わってしまいました。ですから、国の文学芸術部門の指導者はどのように文学芸術を管理するかということが、今後の大きな課題となってきます。『管理』しないわけにはいきませんが、ではどのように『管理』したらよいのか。この問題は、人々がみんなで研究し、考えて行くべきことだと思います。

唐:ところで、五、六十年代は画家の不遇の時代だったのではないでしょうか。水墨画で山水を描くと、暗黒の山水と蔑まれたり…。

汪:ええ、山水画の巨匠・李可染もそう言っていました。李可染と言えば、私は彼から大きな影響を受けたんですよ。ある時黄山の麓で彼は山を指さして私にこう言いました。「汪君、あの山は黒く見えないかい?なのに彼らは私を暗黒の山水を描くと言って批判するのだ」この言葉は、私に大きな影響を与えました。なぜなら、私自身の心の中の黄山も、力強くどっしりとした真っ黒な山だったからです。

唐:それは極左思想に対する罰なのでしょうね。それとは反対に、「四人組」が打倒されてからはまだ十数年しかたっていないにも関わらず、文化芸術全体は予想以上に空前の発展を遂げていますね。

汪:それでは、活路は一体どこにあるのかと言うと、我々は、文学芸術の本来あるべき位置に戻るべきだと思います。複雑にしすぎず、最も簡単な定義に立ち返って、その角度からもう一度考え直すべきではないでしょうか。世界全体もしかり、20世紀の中国文化もまたしかりです。

唐:汪先生の黄山の写真は、どのような芸術作品が時代と空間を超越し得るのか、どうしたらそうした芸術作品を生み出すことができるのかという新たな啓示を理論界に投げかけたと言えますね。

汪:芸術品はまず人を感動させる力を持ったものでなければなりませんが、それはまた真の思いの吐露でもあります。私の黄山の写真を見てなぜ人々はこれは東洋のものだ、中国のものだと言うのかというと、私はこの土地に生を受け、この土地で根を広げた人間だからです。しかしまた私は20世紀に生まれ育った人間でもあり、幼い頃から現代的な教育を受け、西洋芸術と哲学の影響も長く受けてきました。ですから、20世紀の時代の精神もまた私の血液の中に溶け込んでいます。それが私が本来持っていた東洋文化の元と結びつき、体内から流れ出たわけですから、自然と東西両方の要素を併せ持つことになります。これは私に限ったことではなく、芸術に携わる人全てに共通することだと思います。

唐:かつて多くの人が民族的であるほど世界に通用するものだという命題を唱えたことがありますが、そうしてみると、この言葉はもう少し補う必要があるようですね。

汪:ええ、余秋雨先生はその言葉をひっくり返して「世界に通用するものほど民族的だ」とおっしゃいましたが、その方がより適切なようですね。

唐:なるほど、それは人類に共通するものだからですね。世界で広く認められている美醜や世紀の傑作とされているものは、民族的なものでもなければならないわけです。なぜなら世界的な芸術もまたある民族の根元の上に生まれたものだからです。そうしたものは、各民族の経済的・文化的・心理的差異によって初めは受け入れられなくても、最終的には共通の芸術として認められるのです。

汪:しかし最近の中国には、東洋・西洋文化の滓が入り込むという憂うべき問題も出てきていますよ。例えば香港・台湾から入り込んだ大量の文化的ゴミなども吸収されてしまっています。

唐:嘆かわしいのは、商業化の大波の中で私たちを含め多くの文化人がその影響を受けてしまっていることです。少数ではありますが、一部の出版社・テレビ局が自分たちが生き延びるためにそうしたゴミを宝物のように喧伝するのは許せませんね。みんなが生きるために同じようなことをしたら一体どうなってしまうでしょう。

汪:原因は、我々自身の外来文化を渇望する心理に加え、文化的素養の低さや判断力の不足にあると思いますね。閉じていた門が開け放たれたので、一部の人はあわててゴミばかりを拾ってしまったのです。しかし、西洋文明の中にはすばらしい部分も多く、我々が長い年月を費やして学ぶ価値も十分にあるのは確かです。そうしたものを学び取るには根気と時間が必要ですが、問題はいかに精華とゴミとを見分けるかでしょう。我々が西側の栄養を吸収する目的は、最終的に自分たち自身の文化がよりたくましく成長し、新しい中華文化の枝葉を茂らせることなのですから。

汪:『ポスト現代文明』についてもう少しお話ししましょう。1993年に私は日本の講談社から『黄山神韻』という写真集を出版したのですが、その後書きに私は「21世紀、人類社会は全く新しい東方文明の時代に向かって、一歩一歩進んでいくものと私は確信しています。この東方文明は古の東方文明とは異なるものであり、それは西方文明のすべての精髄を充分に吸収してのち形成された、斬新で高次元の東方文明でありましょう。西方文明は近2世紀の間、燦然と光を放ちましたが、今や多くの面で行き詰まりを見せ始めています。そして古く揺るぎない東方文明にその救いを求めることになるでしょう。新しい東方文明の時代において、人類の今の価値観と生活様式には、大きな変化が起こるはずです。私たちは今すぐにもその新しい時代を迎える準備に取り掛かることです。」と書きました。

ここで言う「新しい文明」とは、人類が現代文明を終結させた後に足を踏み入れる新たな文明の段階を指しているのです。ヨーロッパでは、かねてから多くの学者や政治家までもがこの問題について論じてきました。最近は日本でも少なからぬ有識者がこの問題を重視し始め、社会全体でこの問題を考えるべきだと呼びかけています。もちろん中国でもこの問題を研究している学者は少なくありません。代表的なのが元北京大学副学長の季羨林先生ですね。細部の違いはありますが、それぞれの観点は基本的には共通していると思います。つまり人々はヨーロッパから発端して次々と波及し、世界全体をも支配した所謂現代文明(西洋文明)が人類に数々の恩恵(主に物質的において)をもたらしたと同時に、人類の未来に重々しい影をも落としいると認識しています。今日に至っては、それがもたらす潜在的な危機が相次ぎ我々の目の前に付きつけられ、即座に根本からの改善に着手しなければ、人類の破滅を招きかねない危険な事態までに至っています。

現代文明の発生と発展全体に関して軸となっている哲学の原理は、精神と物質を分離させたデカルトの二元論と機械論の世界観ではないでしょうか。全体的に言うと、その思考様式は分析的と分割的なのです。こうした精密さと正確さを求める思惟方法は、現代の科学技術やさらには現代文明全体の発展を大きく後押ししました。ニュートンの体系を基礎として築き上げられた近代的工業文明も、こうした分析的な思惟方法の見事な成功例の一つです。だが、このような思惟方法には致命的な欠点があり、一直線に永久に分析しつづけていくことができないゆえ、ある時点に達すると、それ以上の分割が出来なくなります、必然的に理性では克服不可能な困難にぶつかります。これは分析演繹の外延型論理に重点をおいた西洋的な思考様式の乗り越えきれない内的矛盾となっています。こうした分析的な思惟方法と機械論の世界観では、世界を無数の独立した存在、相互に対立する物体から構成されていると考えて、その一つひとつの個性を重視しかつ研究する一方、それら相互の関連性や総体性といったより重要なものを軽視してきました。俗に「木を見て林を見ず」とか「頭が痛ければ頭だけ、足が痛ければ足だけを治療する」と言えるでしょう。今日、人類が直面している様々な危機は、こうした思惟方法によって世界を認識し、人類の上に起こっている具体的難問を解決するのはもはや不可能だということの十分な証明になるのではないでしょうか。その最も根本的な誤りの一つは、人と自然を極端に対立させるものだとし、人類が自然を凌駕して過度に自身の力を信じ込み、自然を征服することを過度に強調してきたことではないかと思うのです。デカルトの言葉を借りれば:人類は自然界の「主宰者と支配者」にならなければなりません。こうした考え方の上に発展してきた自由主義原理と経済学原理は、人の利己心と際限のない物質的欲望を原動力にすることで、現代経済に空前の発展をもたらし、人類の物質文明を未曾有の高さにまで押し上げました。しかしこうした発展は、自然資源のほしいままの略奪や生態環境の破壊を手段とし、また代償ともするものだったのです。こうした発展を促した自由競争の上に立つ現代の経済体制やその手段としての科学技術は、一見すると人類に『幸福』をもたらし、その『進歩』を促進したかのように見えますが、しかしこうした止まらぬ悪性的発展は人類の生存に不可欠な自然生態環境の徹底的破壊につながり、ついに人類滅亡の速度を速める結果となりました。我々人類は、自然の前に高慢になってはならないのです。さもないと、自然は必ず人類に報復するでしょう。

現在地球の生態環境の破壊状況は周知の通りです、科学者たちはすでに精確な計算を打ち出しています、このままの勢いと速度で発展していけば、全人類は滅びるのも遠くない話です。このような緊迫した危機に面しては、我々は現在に至って人類に高度な物質的文明をもたらした現代化潮流、及びその思想の源泉となる西洋哲学を振り返って、見つめなおさざる得ないだろう。

利潤ばかりを追い求めて、社会への影響(乃至地球や宇宙に対する影響)を考えず、人間の消費欲を狂ったように刺激し、「低コスト」の自然資源をみだりに費やして人類が基本的に必要とする量を遙かに越えた製品や贅沢品を大量に生産することで、自由競争に基づいた経済体制を維持していくような現代のあり方を根本的に変えていかなければ、そうした哲学思想に基づいた世界観と、物質を重んじ精神を軽んじる価値観や生活スタイルを根本的に改めなければ、どんな環境保護措置も短期的・局部的にしか効果を発揮せず、いかなる自然保護運動も隔靴掻痒の無駄な行動になってしまうでしょう。

それこそが私が『黄山神韻』の後書きで、現代文明がすでに行き詰まっていると言った第一の理由なのです。

第二の理由としては、現代文明の下で人類の精神がこれまでにない危機にさらされていることが挙げられます。

前にも述べたように、人間が他の動物と区別されるとすれば、それは主に人間には精神的な需要と精神的な追求があるからといえます;人間が幸福か否かは、主観的な精神が重要な役割を果たしています。私は、衣食住の問題を解決した後の人類は、精神文化の発展を第一に考えるべきだと思います。しかし、現代文明の本質は物質文明になってしまっています。デカルト以降の人々は次第に関心を二元論の中の物質世界にのみ向けるようになってしまったのです。近代の工業文明は人の物質に対する欲求を基本前提とし、人は物欲が横行する中で、意識的にも無意識のうちにも次第に「物質化」してしまいました。現代文明の下で少しでも多くの物質を享受しようとして、一人ひとりが現代経済体制という巨大な機械の中の一部品となり、あるいは自らが小さな「金銭製造マシン」になったのです。今や金儲けや金稼ぎは人々の人生の全ての内容となり、目標となり、生き甲斐となり、金の多少が価値判断の基準となっています。こうした物欲のショックと抑圧の下で、人々の精神は萎縮し、ねじ曲がり、健全さを欠いた病的なものになってしまいました。特に現代文明のシンボルとも言うべき大都市では、人という動物は近代化された電気設備のつまった精巧な「箱」の中に飼われ、朝早くそこを出かけては夜遅くまで金銭を生み出すために奮闘しています。また、「箱」と「箱」の間にはほとんど交流がありません。最近アメリカでは「情報ハイウェイ」とか「マルチメディア」といったものが喧伝されて、それが実現すれば21世紀には人々は外出する必要がなくなり、家の中のコンピューターで仕事をするようになると言われています。しかし、生まれてから死ぬまでこの「箱」から一歩も出なくでも生きられるようになると、人間の精神に最も必要な自然との触れ合いや、“生”の他人との触れ合いといったものはますます少なくなってしまいます。もともと孤独に陥りやすい人間は、ますます孤独になってしまうでしょう。東洋の伝統的な人情も、現代化の大波の中で次第に希薄になり、ついには消失してしまうのでしょうか。人は、金銭を生み出すだけの異常な怪物になってしまったのでしょうか。現代文明の中では、正義感や道徳といったものは失われ、美醜の見境はなくなり、今や下品で低俗な文化が全社会に充満しています。人々の精神をむしばんだこうした「現代病」は、先進国においてはすでに重大な社会問題になっています。ドラッグの氾濫、犯罪の横行、青少年による殺人と自殺、邪教の猛威、美醜の転倒、道徳の淪落、政治の腐敗…。その病状は現代の社会構造の中でますます重症になり、近代のあらゆる思想の宝庫を探しても、この病気を治す特効薬は見つからないのが現状です。

いずれにせよ、地球における資源の枯渇・自然環境への破壊・人類精神における貧困化この三つの面において、西洋文明及びその思想基盤となる西洋哲学・自由主義原理・経済学原理はもうすでにその限界を見せ始め、次第に通用しなくなっている。

人類には、早急に新たな道を切り開くことが求められています。しかし私は、人類が直面している様々な難題の解決に着手する前に、まず現代文明の思想的基盤となっている哲学原理を全面的に考え直し、その誤謬と不足を明確にすることが必要だと思うのです。それから改めて人類が直面している問題について考え、次の時代に人類を導く新たな哲学原理・思想を創り出すのです。数千年にわたって、東洋の人類を歴史における歩みを導き、輝かしい古代東洋文明を創り出した東洋哲学の思想宝庫の中に、数え切れないほどの人類思想の精華が埋蔵されています。例えば:「天人合一」の思想、「仁」と「中庸」の思想、「共生」と「循環」の原理、等など。これらの思想全てが東洋人の総合的、合一的な思惟様式に基づいています。西洋の分析的、分割的な思惟方法と比較すれば、全体から物事を把握することを重んじ、物事間の相互的な関係の協調に重点をおいています。現代文明における人類と自然、人と人、個体と群体(社会)、種族と種族との間の関係に生じた諸危機を解決する際に、これらの東洋的思想がきっと計り知れない役割を果たすことでしょう。かつ量子力学や相対論を基盤とする現代物理学の最新研究結果からみても、科学的原理は分割的な二元論や機械論から徐々に離脱させ、東洋的な合一的原理へと歩み寄っています。それゆえ、人類の次世代文明の基本思想原理を創造する際、東洋的哲学思想の精髄に重点をおくべきだと思います。もちろん、古来の東洋思想をそっくりそのまま、次世代の人類文明建設の指導に用いるのではなく、西洋思想の精華を吸収、結合する過程を経て昇華し、充実させたのち、更には新たな創造を経たのち、やっと、ポスト現代文明の指導思想になり得ます。

唐:汪先生のただいまのご高説は、知識人が持つべき批判意識や、『超前意識』の表れだと思います。これはまた、世界的な意義のある、世界各国の知識エリートが共有すべき問題でもあります。しかし、知識人を含む少なからぬ人が近代の物質文明にどっぷりと浸かってしまい、精神文明はこれまでほとんどなかったほど厳しい挑戦を受けています。しかし、人類の文明はそう簡単に滅びてしまうものではありません。多くの文化の領域に、時流に逆らってしっかりと立っている人はちゃんと存在しているのです。彼らは人類の文化の高いところに立って、深くまた細かく洞察し、遠くを見ることのできる目を持った人々で、歴史の重責を担っているのです。前述の見方は少々杞憂に過ぎると言われるかもしれませんが、本質的には人類に対する深い洞察だと思います。我々の国は、今まさに西側先進国がその発展の初期に経験したことを吸収しているのです。我々には第一に前人の戒めがあり、第二に伝統的な「天人合一」の思想があるので、西側先進国の二の舞を避けることは可能でしょう。昔の人は、宮仕えが思うようにいかずに不遇をかこって山林に隠遁し、深山幽谷に移り棲み、その結果、自分と自然の融合を感じ取りました。「独り幽篁に座し、琴を弾じてまた長嘯す。森林人知らず、明月来たりて相照らす」というのは、山水に思いを託し、争いごとから逃れて禅の道に入り、悟りを得る様を描写した詩ですが、これこそが古代の文人た

ちの代表的な考え方だったのです。「達すれば則ち天下を救い、窮すれば独りその身を良くす」というように、彼らは自然の山水の中に精神のよりどころを求め、自己を解脱する精神の楽園を求め、最終的に「天人合一」の境地に到達しようとしたのです。こうした哲学の限界は消極的で進取の気風に欠けることであり、知識人たちの精神的な萎縮さ、脆弱さ及びこざかしく保身の術に長けることの現れではないでしょうか。

こうした点から世界全体を見てみると、西洋では人と自然の対立や略奪によって生態バランスの問題が生じている事に気づきます。人と大自然の融合は巨大な生態バランスなのですが、このバランスを破壊したことによって、人類社会は罰を受けることになるでしょう。

20世紀の世界では、西洋の工業文明が高度に発展し、また競争を展開し、その結果大海原や森林・河川を始め、大気圏や宇宙・空気・水・太陽光線までもが、阻止することができないほどの勢いで野蛮な破壊を受けてしまいました。さらにひどいことは、それと共にもう一つの生態バランスが勢力範囲を広げていることです。つまり、人が自然を略奪する中から生まれた人間同士の争いも激化し、利己心やどん欲さ、残忍さなどが無限に広がりつつあるのです。この二つの生態バランスによる破壊はさらに相互作用を生じるため、人類が生存する大環境はさらに危機にさらされ続けて行くでしょう。もはや中国古代の文人のように、消極的な態度で俗世を避け、山林に隠遁していたのではだめなのです。古代の「天人合一」は確かに現代以後の世界に対し一線の希望を抱かせてはくれますが、結局のところ万能の仙薬ではありません。人類の責任、特に指導的地位にある明晰な人々を含む知識人たちは、「鉄の肩に道義を担い」、文化の領域において探求と行動を続ける歴史的責任を負わなければならないのです。

汪:中国の「天人合一」は、人を自然の中に置いた考え方で、両者は協調し合って初めて発展と生存を続けることができるとしていますが、この点から考えると、近代思想には多くの否定せざるを得ないものが存在しますね。世界の文明は、我々に最終的にはそれを変えていかなければならないと告げています。人類は、否定の否定というサイクルの中でこそ発展することができるのです。

唐:否定の否定というサイクルは、決して機械的な繰り返しであってはなりません。一回ごとに螺旋状に上昇し、より高く、より新しく、人類と自然の関係により適合したレベル、人と人の間で規律をもって発展する科学のレベルにまで到達しなければならないと言えるでしょう。

(おわり)