汪蕪生・インタビュー   
  1994.10.08. 《すまいろん》

特集●アジアの都市居住

自然とのバランスガとれた中国の伝統的な住まい

 

山水写真を通して住まいを考える

私の故郷は、南京から一時問ほどのところにあり揚子江の港町、安徽省蕪湖市です。安徽省は貧しい所ですが、文化的な歴史のある土地で、私は二〇年間ずっと、故郷の山を被写体として写真を撮ってきました。故郷のイメージを山を借りで表現してきたわけです。

私は住宅とか建築については全くの素人ですが、写真を撮っていると、いろいろなことを考えさせられます。私のメインテーマは山水写真です。山水写真というのは、もちろん私が付けた名前ですが、西洋の風景写真とは違います。東洋的な、昔の山水画みたいなものを、意を写す、心を写すという手法で撮ってきたのです。その過程で、東洋と西洋の問題、近代文明の問題、自然環境の問題、人間本来のあり方などについていろいろ考えさせられました。これからも皆と一緒に考えていきたいと思っているわけです。もちろんその中に、住まいについても含まれているのです。人間と自然の間にあって、直接つながっているのが住まいです。

建築は人間のライフスタイルを直接反映させているものです。時代の移り変わり、ライフスタイルの移り変わりとともに、住まいの形もどんどん変わっていっているのです。私はこれから、そういう住まいについて勉強していきたいと思っています。私は撮りためた安徽省の民居の未整理のフィルムをあたためています。トリミングし、プリントしないと何もわからないのです。アート作品として出したいのですが、同時に、その作品を通して、次なるテーマとして、人間の住む所が、昔はどうだったか、いまはどうなのか、これからどうなるかというようなことを考えていきたいなと思っています。


白い璧、黒い屋根、そして木の文化

安徽省の民居は、一口にいうと、璧は白い漆喰、屋根は黒い瓦で、素朴で品のいいものです。ふつう中国の建物のイメージは、日本のチャイナタウンにあるような、金とか赤とかの建物で代表されがちですが、それは誤解です。本当の中国の文化の代表的なイメージではありません。あれは少数民族、満族、清の時代の文化というべきもので、本当の中国の漢民族の文化は、上海、浙江省、安徽省など、この地域にまだたくさん残っている、白い璧、黒い尾根、そして木の文化なのです。

その点、日本は外来文化の取り入れ方が非常にうまくて、いいものだけを取り入れてきました。隋、唐、宋の時代のいいものだけを取り入れてきたから、いままで残っているともいえるのです。中国の唐、宋の時代の本当の文化を見たいのなら日本に行きなさい。唐招提寺などに大事に保存されていますから、ともいえるわけです。


人間と自然のバランスがとれている

いずれにせよ、こうした建物はまた、この辺りの山水と非常にマッチするものです。言い方を換えれば、昔の中国人の宇宙観、価値観、哲学と一致しているわけです。美意識が生活の中に位置している。仏教の思想、道教の思想、儒教の思想、それらは互いに対立しているところもありますが、それをみんなうまく使っているのです。道教の思想にはそれなりの美意識もあって、結構生活の中に位置している。建築によく使われる風水の思想がそれにあたります。子々孫々の運をよくするために・・・・・・、美的に自然とマッチさせるために・・・・・・、住まいを造るのにいちばん大事にするのが風水です。周りの環境、山、森、池・・・・・・、これらは中国人の思想の深いところにあるのです。住まいと周りの環境がマッチしないと、住まいとはいえないのです。

農業をやるときも、田圃をどこに向けたらいいかなど、やはり自然とマッチするということを大切にします。東洋人は、昔からそういう自然に対する考え方が西洋人とは基本的に違うのです。自然を大事にする、尊敬する。自然と人間のバランスをとっているのです。

住まいとしては、発展する社会との絡みの問題も大切ですが、さらに大事なことは、人間と自然との触れ合いです。私の故郷のような自然に囲まれたところでさえ、住まいの建築方法から何まですべてが、自然とマッチするよう考えられているのです。このことは、もっともっと、大事にしていかなければならないことだと思います。自然から住まいが孤立しないように、それがうまく一緒になって人間が環境の中に住んでいる、ということを常に心掛けるということです。


中庭のある住まい

日本の伝統的な農村の住まいが自然に対して開放的なのに対して、中国には、たしかに自然に対しては閉鎖的なところもあります。自然環境が厳しい所も多いし、また、戦乱が多かったことも確かです。中国は家族主義の団といえますが、見方によれば、個人主義の国でもあります。道教の思想と関係あるのかもしれませんが、住まいの中に小さい宇宙をつくろうとするわけです。そしてその中に自然を取り入れようとして、中庭をつくります。開放的であり、空があり、雨も風も入る。閉鎖された空間の中に自然を入れるのです。

自然との触れ合いの他に、もう一つ大事なのは、人と人の触れ合いです。昔の中国は大家族主義でした。その大家族も、本当に遠い親戚までもが一緒に住むという、本当に大きな家族でした。その中で、人と人の触れ合いは多いし、一般的な住宅でも、人と人の触れ合いが非常にしやすい建築のシステムというものがありました。

一見、非常にもったいない空間だとか、使いにくいといったことはあっても、そこからいろいろな人間のドラマが生まれてくるわけです。

消費文化が進んだらどうなってしまうのか

いまの人たちは、ひたすら便利さだけを追い求めて、非常に危険な所にきていると思います。本当にこの人類はこれからどうなるのか。あるいはもっと極端に言うと、人間は自分の力、自分の科学技術で便利さを追い求めることによって、自らを破滅させてしまう。何でもコンピューターに頼って、頭をあるいは手足を使えなくしてしまう。特にこの一〇年間くらいで、そういう自然と人間のかかわり方というのは急激に変わってきていて、人間はある意味では非常に弱くなっている。進化するということは、弱くなっていくということでもあるわけです。

近代文明はあきらかに行き詰まってきています。問題は二つあります。一つは地球環境の問題です、アメリカがつくった自動車文化、消費文化を全世界六〇億の人が追いかけて、アメリカと同じ生活をしたらどうなるか。非常に簡単な計算ですか、はっきりしているわけです。国連なども環境問題の運動などしていますが、みんなに認識させるという意味ではいいのですが、具体的に地球を救うことはできない。消費社会ですから、安い資源を利用して、どんどん消費させる、といった価値観を転換しなくでは問題は解決できません。もう一つは、人間本来の、精神の貧困の問題です。人間は近代化、工業化によってつまらなくなってしまいました。美意識についでも、美醜の見境いまになくなってしまうでしょう。そこから近代文明を考え直さなくではいけません。

確かに昔の住まいを含めた環境というのは、人間に、あるべきことを教えてくれていました。私は、芸術、写真についても、次のテーマの中心的なコンセプトをここに置こうと考えています。まず芸術的な写真を撮って、みんなを感動させる。生活の匂い、そこから出た人と人の触れ合い、人間と自然との触れ合い。昔の古い生活様式、芸術について認識を新たにさせる。こういった人間としてあるべき住まいとか環境について、考えさせる写真を撮っていきたいと考えています。

(ワン・ウーシェン/写真家・/日本在住)

汪さんは、安徽画報新聞図片社撮影記者として活躍されるかたわら、日本大学芸術研究所写真研究室に留学生として来日。以来、日本在住の写真家として活動されている。本稿は談話をまとめたものです。                                       

文責=編集部