森本哲郎(文明史評論家)   
  1994.08.02《新潟日報》

黄山に魅せられた魂

汪蕪生 山水写真展に寄せて

中国の伝統芸術を継承

私は中国を訪ねるたびに山へのぼった。と言っても、「登山」ではない,「遊山」である。なぜなら、山に遊ばなければ、中国の人たちの心に達することができない、中国文明の神髄にふれることは不可能だ、と思っていたからである


古来、中国では「四嶽(しがく)」、すなわち東嶽の泰山、西獄の華山、南嶽の衡山、北嶽の恒山が聖なる山とされ、歴代の天子はこの四つの名山を「巡狩(じゅんしゅ)」して、初めて天子の権威を身につけることができた。「四嶽」は、のちに中嶽の嵩山が加えられで「五獄」となり、長い中国の歴史のなかに、この五つの峰がそそり立つことになったのだった。

聖なる山は、とうぜん、そこに信仰を呼びこむ。やがて、仏教の寺院や道教の道観がつぎつぎ設けられるようになり、こうして、中国の山々は神仏の世界ヘ浄化されていった。五嶽ばかりではない。仏教の拠点は天台山、盧山、五台山・・・となり、道教の“本山”は茅山、そして黄山が占めるようになった。

そうなると、山々は騒人(文人.墨客)の“修業場”ともなり、嶺峰(れいほう)は詩の庭にもなっていった。李白は、どれほど多くの山を跋渉(ばっしょう)したことだろう。そんなわけで、私は中国を訪ねることは、山に遊ぶことだと思いこんだのである。「五嶽」のなかでは、泰山、衡山、嵩山、詩にうたわれた山では、盧山、峨眉山、李白の墓がある馬鞍山、信仰に結ばれた山では、天台山、五台山、茅山・・・。

ところが、ある日、平山郁夫と話が中国の山に及んだとき、「黄山へ行ってない? それでは中国の山を語る資格はない」と笑われた,そのときまで、私は天下の名山といわれる黄山に足を踏み入れていなかったのである。

以来、私は黄山にうなされつづけた。そこで「黄山探訪」をテレビ局から依頼されたとき、まさしく、天にものぼるような気持ちになった。そうだ、黄山に行かはければ。神話時代の中国の皇帝である「黄帝」が、この山で仙術を授けられたところから、唐の玄宗皇帝が「黄山」と命名したという長い歴史を刻む仙境に。

しかし三十六峰、いや、七十二峰も擁するという黄山を、どのように探訪したらいいのか,それほど広い山中を私の弱い足で踏破できるだろうか。それを思うと、いささか不安だった、
「だいじょうぶですよ。黄山の隅々まで知りつくしている中国の写真家がいますから,その人に案内してもらうんです」と、プロデュサーが請け合った。そうしたいきさつで、私はその写真家と知り合い、大いに意気投合し、そして、黄山ヘ向かったのだった。中国のその写真家が汪蕪生(ワンウーシェン)氏だった。

何とも残念なことに、出発直前になって、汪氏は体調をくずし、ついに同行してもらえなかったのだが,私は汪氏から、黄山の“神境”について、くわしく教えられ、夢幻の中で黄山にのぼっていた。だが、そのときはまだ、汪氏が二十年にわたって撮りつづけたという水墨山水画の名品にも劣らぬ数々の「山水写真」を実見してはいなかった。

それを初めて見せてもらったときの感動は、いまも私の胸に鮮明に焼き付いている。山岳写真の傑作はいろいろあるが、汪氏のような気韻生動(きいんせいどう)する作品は見たことはない。

そう。それは、まさしく、「山水写真」としか名付けようもない“名山図”なのである,おそらく、汪氏の写真には、中国唐代の天才画家・呉道子以来、連綿とつづいてきたこの国の山水に寄せる深い思いが、その一枚一枚に息づいているのであろう。中国では、絵画に何より品格を重んじる,その格に応じて、神品、妙品、能品、さらに逸品というぐあいに,それはそのまま写真芸術にもあてはめることができよう。私は汪氏の作品は、まぎれもない「神品」だと思う。中国の山水画は、たんなる風景画ではない。山に寄せる中国人の魂が結晶した宗教画とさえ言い得る独特の芸術だ。写真家汪蕪生氏は、その伝統のうえに、絹本や紙本に代えて、フィルムにその山水図を継承しているのである,絵筆ではなく、カメラによって山水を甦(よみがえ)らせているのだ。
       
(評論家)

■黄山神韻 「汪蕪生(ワン・ウー・シェン)山水写真展」3日から8日まで、

新潟伊勢丹7階アートホール。