汪蕪生

 1992.10.29.東京女子大学公開講演会

東洋と西洋の美意識

━━山水写真の試み━━

汪蕪生

今日は、皆さん。本日は伊藤善市所長を初めとする東京女子大学比較文化研究所のご好意で、私のラフヮークである「山水写真」についてお話をするチヤンスを与えていただき、本当に感謝しております。私は長間、作品の制作だけに集中してまいりましたので、講演会とう形で大勢の皆さんの前で話すことは生まれて初めてのことですし、特にこういう「東洋と西洋の美意識」とった大きなテーマについて語ることには大変な緊張と不安を感じてます。

まず簡単に自己紹介をさせていただきます。

私は安徽省とう、中国の東南部に生まれ育ちました。大学時代は物理を勉強専攻したのですが、これは私個人の歴史の中にひとつの何か過ちというか、誤りでした。と言ますのは、小ささ頃からずっと芸術、例えば演劇、音楽、美術、或はダンス、或は文学などに大変興味を持っていたにも拘わらず、高校を卒業した当時はあまりに若かったせいか、自分が何が好きで何がやりたかあまり分からぬまま、物理の大学に入ってしまったからです。

入った途端にすぐ後悔しましたが、今、改めて振り返ってみると、あの四年間の勉強が実は無駄ではなかったのだと思うようになりました。論理的思考様式とうか、そういう勉強が出来て、今日とても役に立っていると思います。

大学を卒業して、一番やりたかったものは演劇、或は美術。しかし運命とう神様はなかなかそういうようなチャンスを与えてくれませんでした。しかし、たまたまカメラマンの仕事があって、私は写真に対してもすごく興味を持っており、毎日本を読んだりして独学をしているところでしたので、その,機に写真の道に入って今までずっとこの道を歩んでまいりました。

最初の就職先は安徽省の地元の報道関係の機関でした。仕事は報道写真中心でしたが、私個人はラフワークとして、ひとつの山だけを撮ワ続けてきました。この山が黄山です。これが私のラフワーク。これだけを撮り続けてきたのです。

黄山は中国の東南部、安徽省の南部にある一八八○メートル位の連峰です。南京から二五○キロ南西の方、上海から飛行機で一時間ぐらい。周囲の山は日本の山と変わらない山ですが、黄山に入ると景色はすぐ変わります。この山は普通の山と違って、すごく険しい峰が一○○以上あります。花崗岩層が地殻変動の繰り返し、氷河の侵食作用などを経て現在の形になったのです。今もたくさん氷河の痕跡が残っています。

中国には黄山以外に五大名山を初めとして多くの名山がありますが、それらはほとんど宗教と深い関わりを持ってきました。その中にあって、黄山は大昔はそれほど有名ではありませんでした。宗教との関係もそれほどは深くありません。唐の時代に文人たち、つまり詩人とか絵描きとかが黄山に入るようになって、それで少しずつ名前が知られるようになりました。特に明の時代に、今日の言葉で言うと紀行作家というか、各地を旅行していろいろな文章を書いたことで中国では有名な作家、徐霞客が黄山に行って素晴らしい文章を書いて以釆、黄山は中国人の間で広く知られるようになりました。

今日では、中国人あるいは海外の中国の華僑たちの間に一番人気のある風景は黄山です。知らない人はいない。形はそれぞれすごく面白い、不思議な、つまり何と言うか、神様が作ったそういう一つの彫刻ですね。本当に人間の作った彫刻よりもはるかに魅力ある彫刻だと思います。

私が黄山と出会ったのは一九七四年、今から一八年前です。小さい頃から、黄山という美しい山には沢山の仙人が住んでいるのだと聞かされてはいましたが、実際に登ってみたら本当に大変な衝撃がありました。まさかこのような素晴らしい景色がこの世に存在しているとは。私は大変な衝撃を受け、心打たれ、まさに息をのみました。その時の衝撃を言葉で説明するのは難しいのですが、自分の体験としては一生忘れられないような大変な体験でした。今まで私が生まれ育って、それから仕事であちこちに行った中でも、こんな素晴らしい景色は想像も出来ませんでした。ああいう衝撃の強さはもう本当に一生忘れません。

その時は、黄山の一千メートル以上の断崖絶壁の上に座って、時には写真を撮ることも忘れてただ座っていました。本当にすごく高いところに。足元はずっと天の果てまで一望千里の大雲海。峰々はすべて雲の上に漂っている島のよう。頭の上の空や雲が本当にもう手をちょっと挙げれば触れられるぐらいすごく近い感じがしました。

そして、周りには一人の人間もいない。今は観光客で一杯ですが、当時はあまり観光客もいなくて、とても静かでした。ただ聴えるのは風の音、風が奏でる松の木の音、そして猿の声と鳥の声だけ。私はそういうような景色にすっかり魅せられて、一日中ただ座っていました。その時私が感じたのは、私の呼吸、私の肉体、私の魂。これらはすべて目の前の松の木、青い空、白い雲と揮然一体となって溶け込んでいました。日常の生活や仕事の中に生まれるいろいろな世俗的な悩みとか苦しみとか、ストレスとかが、すごく不思議なことに、その時完全にどこかに飛んでいってしまいました。心がきれいになって、つまり魂まで浄化されたという気がして、私は安らかな気持ちで一杯でした。大袈裟と思われるかもしれませんが、本当に私の人生観までこの山と出会ったことによって変わりました。なぜかというと、この山に登って、この断崖絶壁の上で感じたのは宇宙が大きいということ。その大きさ、雄大さと永久さを体感したのです。それに比べると人間はどれほど小さくて可哀相な存在か。人生の短さを思い知らされました。今話題のキンさん、ギンさんと同じように百才生きても、三○才生きてもその時の私にとっては同じこと。宇宙の長さ、永遠の長さに比べると、同じように瞬時の短い人生。例えば、人間と人間の間の争いなども、どれほどつまらないものかど感じました。私はその時、あたかも神の啓示を受けたかのように「これが私の宿命だ。ライフワークだ。」と感じました。っまり、この時見た美しい景色を写真で表現しよう、この感動を人に伝えようと決心したのです。それから一八年経ちました。この一つの山だけを撮り続けて。

ところで、写真展をすると、ご覧にいらした皆さんが「ああ、この絵はいいな」とか、皆「絵」と言っているのです、写真なのに。私が「これは写真ですよ」と言っても、ルーペまで持ってね「あっ、なるほど写真ですな」とか言う人もいる。(笑い)私の作品に写し出されているのは、神様と自然が生み出した景色で、捏造できないものなのです。そこが写真のいところ、魅力ですね。実在しないと撮れないんです。

日本に来る前は、私は日本画の巨匠、横山大観先生の絵を見たことがなく、日本に来て、一九八六年頃にやっと先生の作品を見たのですが、その時大変驚きました。何か共通するものを感じたのです。やはり同じ東洋の心だという気が強くしました。

今日まで一八年間、黄山を「山水写真」に写し出す試みを続けて来たのですが、最初はこの山と出会った時の衝撃、感動を、一体どういうふうに表現したらいいか、あまり深く孝えていませんでした。ただ「表現したい」の一念だけ。自分の受けた感動を人々に伝えたいという思いばかりでした。

しかし、せっかく何ヵ月も山に篭って、たくさんフイルムに撮っても、帰って現像してみたらほとんど気に入りませんでした。プリントした写真は平凡で私が黄山で受けた印象と全く違う。そういう失敗が沢山ありました。失敗したら原因を探さなくてはいけないんですね。どう違うか。まず自己分析をしなくてはいけないと思い、自分が最初に受けた衝撃や感動が一体どういうところにあるか。何であれほど感動したのか。それから、黄山の魅力はどこにあるのか。こういった自己分析とか、反省を繰ヮ返しました。そしで、失敗と反省の繰ワ返しの中でやっと少しずつ自分自身の心の中の黄山の美しさを発見していったのです。大切なのは、茸山自体は客観的な存在であるけれど、黄山の美しさというものは客観的なものではないということです。見る目によって全然違う美しさに映るものなのだということ。そのことに思い至ってからは、私の心の中の黄山とは一体何かということをよく内省して、そしてもう一度撮影しに行くという事をしているうちに、少しずつ黄山の、私の心の中にある黄山の美しさがやっと分かってきたのです。

先程も申し上げましたように、私の写真はよく山水画と似ていると言われ、私自身も最初そう思っていました。しかし、実際に見てみると、私の写真と山水画はかなり違います。それなのになぜ山水画に似でいるという印象を人々や私自身に与えるのか。考えたあげく私が得た答えは、その「魂」が同じだからということでした。魂というのは中国人のそういう山や自然やあるいは宇宙に対する恩いというか、美意識といったものが基本的に同じなのではないかと私は思っています。われわれの地球はとても大きくて、様々な地域に様々な人種と民族が住んでおり、交流の少なかった昔は、それぞれの人種と民族、地理、気候、或いはそれぞれの歴史の違いなどによって逢った宇宙観を持っていました。その宇宙観から出た美意識もそれぞれのものであると私は考えています。大きく分けると東洋と西洋ですね。西洋という言葉はヨーロッパのこと。ヨーロッパの場合、二五○○年前の古代ギリシア時代は、東洋と似た神秘主義的な宇宙観を古代ギリシア人は持っていたのですが、しかし、紀元前の大体五,六世紀頃から、ヨーロッパはそういう神秘主義的な宇宙観から少しずつ、ルネッサンス時代や科学の発達を経て、知的な世界観というか、哲学へと変わってきました。特にデヵルトの精神と物質の二元論。そういうような哲学から出た実証主義的な宇宙観が今日の西洋的な基本として発展してきたのだと思います。今日の西洋人の宇宙観は基本的には科学的、あるいは理性的、分割的なものであると私は受け止めています。

つまり、西洋人の目から見た現実世界とは、独立した空間の中に個々の事物が様々に配列して出来ているというような考え方で、例えるならば世界とは、形も大きさも梯々で、見る人の日には完全に独立した石材から作られた建造物だという考え方です。加えて西洋人は分析的、分割的な宇宙観を持っています。

自然とか山なども、西洋人の目から見ると石や土、植物の組合せ。西洋の美術も同じで、科学との密接な関係をもっていまして、ルネッサンス時代、西洋は科学的な遠近法とが解剖学を美術の中に導入しました。特に一九世紀の印象派絵画は明らかに当時の光学の新しい研究成果によって誕生したものと言えるでしよう。西洋の肖像画や風景画などの古典美術作品は、被写体の光と影を科学的に分析し、精密に忠実に対象を描写するものでした。こういうことは、私より今日お聞きの皆さんはずっとお詳しいと思いますけれど。

しかし、一方の東洋、特に中国の場合、西洋の場合とは全く異なり、長い歴史の間ほとんど変わらず神秘主義の宇宙観に支配されてきました。西洋文明とか、西洋的な価値観、知的な考え方、宇宙観は一七世紀の明の時代から少しずつ、二○世紀に入ってからも洪水のように中国大陸に入ってきました。そして、それによって中国人の生活スタイルや考え方もかなり変わっできたのですが、昔の神秘主義な哲学の歴史があまり長すぎるからか、普通の人々の特に美意識とか、価値観の中にかなりその影響が深く根付いており、簡単には変わることはないのです。

ところで、中国の神秘主義の哲学や宇宙観は主に儒教の思想とか、仏教思想、道教思想と結び付いているものです。それらの宗教に一番共通している教えはつまり万物の合一性を強調するという点です。西洋が分割的、分析的であるのと違って、東洋人の考え方は総合的であります。万物の合一性と相互関連性を追及し、孤立した自己を超越して、究極のりアリテいと一体化することこそ東洋人の最高の目標だとも言えるのです。私が学校教育を受けた頃は、科学的な教育ということで、そういうような東洋的な認識の仕方はすべて古いとか、時代遅れだとか、迷信的だとか否定されました。しかし、面白いことについ最近は、現代物理学の最新の研究結果によって、西洋の宇宙観もひとつ何というか、逆戻りもしつつある傾向があるようで、古代ギリシア人や東洋人の神秘主義な宇宙観が見直され始めているのです。

中国では何千年の歴史を通じて、普通の庶民たちは自分の信仰している宗教とは関係なく、道教思想、すなわち「タオイズム」から一番影響されていました。道教には「神仙思想」というものがありまして、哲学としては老子と荘子の哲学をベースとし、人為を否定して自然の大道に帰することを格言として掲げています。この道家思想によって、古代中国人は世俗を抜け出して山水の中に隠遁する「不老不死」や「神仙」を想像してきました。普通の人々にとって中国の歴史は、長い間ほとんど戦争と天災の歴史でした。人々は戦争と天災の苦しみの中に生きてきたのです。そういう苦しみから抜け出して、美しい桃源郷のような楽園に住んで、心身ともに平安に包まれ、自然と親しく交わる、そういう仙人になるのが中国人として一番最高の理想、最高の願望でした。

このような宇宙観、道家の宇宙観を背景にして、中国人は山に対しても西洋人と全く違う考えをもっているのです。ただの土と石と植物、木が土の上に養分を採って生きているというような科学的な自然の見方とは対照的に、中国人は山が仙人の住むところと、神秘的なる存在、あるいは崇拝すべき、尊敬する場所として把らえているのです。この点、西洋人とは絶対的に違うと私は思うのです。それから中国の道教の思想の中に天帝一てんてい一という言葉がありまして、天上の神様ですね。天帝の住んでいるところが天都であり、天宮です。仙人の住むところ、つまり山は、天都に近い。皆さんは西遊記を読んだことがおありですね。全くあの中の通ヮです。孫悟空が住んでいるのが天上の宮殿に近い山です。

ですから、山や自然に対してはそういうような幻想的な憧れと尊敬があるという背景から中国の山水画は誕生しました。山水画の中では山はそういう理想郷として描かれているのです。
時間の関係で山水画の誕生について詳しくお話しすることはできないのですが、一言だけ申し上げると、山水画は西洋人の風景画と違い、風景を忠実に描くものではないのです。山水画は自分の心の中の理想郷を描く芸術です。つまり、心象風景。西洋の風景画、油絵とか水彩画はやはり西洋人の美意識から自然を観察し、そして忠実、丹念に再現するという傾向が強いものです。しかし、東洋の山水画はそう、ではありません。実際の風景を描くというよりは、心の中の山を描くのですよ。心の中のひとつの理想郷を描くのです。これは両者の大きな違いだと思います。つまり、中国の山水画は主に写意を重視して「意境」を追及する芸術なのです。「写意」とは、心境を描き胸中の逸気を写すことですが、「意境」とは日本語にすると「精神の境地」とか「心の中の思い」とか言うことでしよう。胸中の逸気を写し出す、これが山水画において殊にされているひとつのところですわ。実際の風景を描くよりは、自分の心の中の思いと感慨を表現し、心の中の夢路を描くということを大事にしでいるんです。

山水画についてもうひとつよく言われているのは、「借景托情」と「以景寄情」と言う言葉で、こちらも風景に心の中の思いを託すと言った意味です。山水画は自己表現の方法なのです。描かれた世界が実際の風景と似ているか、似てないかは関係ないのです。

もうひとつ大変大事なのは、森本哲郎先生が私の写真集の中に書いて下さっている「気韻生動」という言葉です。これももともと道家の考え方から出たものだと思います。道教の思想によると、「気」と いうものが宇宙の中のどこにでも存在しているというのです。この「気」を言葉で解釈するのはとても難しいのですが、ひとつの生命エネルギーのようなものです。「気」というものは、人間はもちろん、動物や植物などの生物のみならず、川や石、山などの自然の中にも生命のエネルギーとして遍在しでいると道教では考えるのです。したがって、一枚の絵などの芸術作品にも「気」は存在するのですよ。墨の濃淡や構図の変化などによって「気」のりズム感があります。っまり「気韻」というものです。その気の循環がいかどうか、つまり生動かどうかという問題が大切で、「気韻生動」と言われるのです。これが中国の山水画の中で最も重視されていることです。どうすれば、その「気韻生動」を実現できるか。私は写真を撮っている人間ですが、被写体である自然の中に一杯存在している「気」、そしで、私の心の中にある「気」。私の体中を「気」が循環していて、私が自然を見て感動し興奮するか、或いはしないかは、私の体の中の気と自然の気の循環、リズムが一致するかしないかということです。科学的な言葉ではレゾナンス、「共鳴」と言うのでしようか、日本でよく言われる「気が合う.合わない」ということもこのカによって決められるのです。これは、私の勝手な解釈かも知れませんが。

先程も申し上げたように、作品の中にも「気」はあります。自分の作品と生み出した自分自身の心の中の「気」が一致することによって、またひとつの「気韻生動」が実現できるのだと私は考えます。

また同時に、自然の素晴らしい景色にある「気」は、見る側の心の中の「気」を浄化させたり昂揚させるといった積極的な働きもあるのです。自然を認識するということは見る側の人間の目、価値観の問題であるわけですが、逆に向こう側の、自然の作用もあるわけです。例えば、自然の中にいると人間が本当に美しくなり、心もきれいになります。このようにお互いの「気」の働きかけがあるのです。したがって、人間の心の中の「気」が良い状態にあればいい作品が出来る。つまり、「気韻生動」の作品が出来るのです。そういった作品は、自久でも満足出来るもので、傑作とか神品というものになるのではないかと思います。

中国の山水画の鑑賞者は、絵の中に自然.風景を見るのではなくて、作者の個性を見るのです。良い絵画は、世界と見る人々に独特の積極的呪カを働かすことができます。これは単なる審美的な享受の問題ではなく、精神をより高い状態へ昂揚させるということです。西洋の風景画の写実的と対照的に、中国の山水画は具象と抽象のひとつの合一。完全な抽象でもないんです。西洋には、自己表現の手段としての抽象芸術がありますわ。あれはいろいろな流派の哲学の影響による原始芸術に近い抽象表現です。山水画はそういうような抽象じゃなくて、具象と抽象のひとつの合一ですね。完全に抽象じゃない。私の山水写真もそういう面を目標として、ひとつ具象と抽象の合一としで表現していきたいのです。

今日は、これまでのところほとんど山水画についてばかヮお話ししてきましたが、最後に私のラいフワークである「山水写真」とは、一体何がということについて申し上げたいと思います。
いわゆる山水画と私の「山水写真」は、基本的な原理とか、先程も申し上げた私の言葉で言えば「魂」が同じです。どちらもひとつの自己表現です。風景の撮影に託した自己表現ですわ。私は、心の中の風景を表現し、心の中の気持ちを表現したいのです。風景を借りて心象風景を描こうというのが私の願いですから、作品の風景は実際の風景と関係なくてもいのです。ただ、写真の歴史は絵画の歴史よりははるかに短く、たった一五○年程度です。フランスで誕生してからすぐ世界の各国に広がっていきましたが、この短い歴史の中ではまだ、それぞれの地域の民族的な特徴を持つには至っていません。現在までのほとんどの写真が西洋人の美意識の影響を深く受けています。特に風景写真や山岳写真はそうで、忠実的に自然を表現しようとする、先程申し上げた西洋思想に根付いた写真が多いのです。私が尊敬するアメリカの写真の巨匠、アンセル・アダムスの写真も大変素晴らしいですけど、やはり西洋人の、自然を忠実的に精密的に描写するような作品が多いのです。私が「山水写真」で試みようとしているのは、主に写意的な面です。自然の細密描写ではなくて、自然を心象風景として表現し、自分の心境を写し出し、自分の魂の奥底にある、幻想に近い理想郷の景色を描きたいということに他ならないからです。

私の作品はモノクロ写真が多いのですが、黒とグレイと白の組合せ、その中に「気」の循環とかリズム感とかを表現していきたいと思います。

それから、先程は山水画と「山水写真」は魂が同じであると申し上げましたが、もちろん絵画と写真の芸術上の表現形式は全く違うものです。あくまでも写真は写真で、絵画のように風景を捏造出来ません。そういう点で、絵は簡単ですよ。絵は想像し、捏造して山を描けますから。写真はそうは行かない。現場に行かないと写真は撮れない。実在しない風景を捏造はできません。これは写真のひとつの限界線かな。残念ながら写真にはそういうような限界があります。

芸術というものにはそれぞれの限界線があります。出来ないことがあるんです。しかし、同時にそれが、その芸術のそれぞれ一番魅力的なところでもあります。芸術の魅力はちょうとそれぞれの限界線上にあるのですよ。写真の魅力もそう。写真の中の世界はすべて真実、実在であり、見る人は皆信じます。ああ、本当にあるな、捏造された世界ではないな、と。そういうところに写真の大きな魅力がある。この点、山水画と「山水写真」には違いがあります。

最後に作家の陳舜臣先生の山水画についての言葉を借りて、私の本日の話を締めくくらせていただきます。

『文は人』と言ったのは蘇東坂だが、『画もまた人』である。山水画は風景画ではない、倪雲林は竹を描くのを自分の胸中の逸気(創造精神)を写しだすと表現している。胸中の俗塵を去れば、そこに自然に丘や谷川が営まれ、それを描くのだと言ったのは董其昌である。とすれば、私たちは? 山水画に人間をもとめることになる。山水の清韻を素材に、人間精神の奏でる壮麗な交響曲にほかならない。

今日はたくさんの方々にご静聴いただき、本当にありがとうございました。

*本稿は、一九九二年一○月二九日に本学牟礼キャンパスにおける比較文化研究所主催公開講演会「東洋と西洋の美意識 ―山水写真の試み―」の抄録である。本講演会と並行して一○月二入日より三○日まで比較文化研究所において「汪蕪生氏写真展」が開催されて、写真集『黄山幻幽』収録作品を初めとする、二○数点の作品が展示された。高久泰憲氏所蔵の写真屏風も特別出品され、来場者の一層の関心を集めた。