汪蕪生

 1990.03.東京女子大学比較文化研究所《比較文化》36-2

「山水写真」の試み

汪蕪生

私たち人類が住みついているこの地球とは、極めて豊かで多様な世界である。それぞれの地域の、気侯、地理、民族の歴史それに人々の心の肌合いなど、様々な違いによって、世界各地、各民族それぞれ特有の伝統的な美的観賞の文化、およびこうした文化に潜在する異なった美意識が生み出されたのである。

ヨーロッパの絵画においては、十五世紀に始まるフランドル派にせよ、十九世紀末の印象派にせよ、自然の景色に関わる絵画は、一般に「風景画」と呼はれる。しかし東方、おもに中国では、山や川を措いた伝統的絵画は「山水画」と呼ばれている。油絵を中心とする西欧の風景画は、丹念に自然の光と影を描いて、その質量感を表わす。写実を重視して、外観の類似を追い求める。

だが、中国の山水画は「写意[心境を描くこと]」を重視して、「意境[芸術的境地]」を追い求める、「風景に感慨を託すこと」、「風景を借りて感慨をのべること」が大切にされるのである。

中国の山水画といえば、私達の脳裏には次々と、たちどころにつぎのような画面が浮かび上がるだろぅ。就くそそりたった峰峰、茫漠たる雲や霧、松の老木の枯れ技、瀑布に飛び散って流れる水、薄暗い小道、小さな橋に人家・・・・・・。

これこそが千年の昔から、中国人、日本人を含めて、東方の人々が夢枕に求め、魂の奥底に描いた一枚のユートピアの風景であり、また、精神的な拠り所の一つだったのである。

中国山水画の誕生と発展は、中国古代の道家神仙思想と極めて密接な関わりをもっている。老荘を代表する道家哲学は、人為的なものすべてを否定し、一切が自然に帰ることを主張した。俗世間を脱け出して、山水の自然のなかに隠遁することを提唱したのである。山は仙人たちが寄り合う所、妖怪変化の住みかと考えられた。そこでは永遠にこの世の苦しみや悩みから脱却して、長寿と楽しみを求めることができる。山は宗教性を帯びた幻想の世界となったのである。

たとえ現代の東方の人でも、山水画を楽しむときに生まれる美感の最も奥底には、やはり、古代中国人が山岳に対して抱いていた、宗教的情緒と切り離せないものが残っている。

早くは魏晋南北朝時代より、文学、絵画などの方面では既に、老荘思想の影響を受けた比較的自由な芸術精神が芽生えていた。人々は自然を一つの美として観賞し始めていた。「山水」という言葉が現れる最も古いものは、この時期の左思の詩『招隠』である。

「糸竹[楽器] に、などか頼らん、山水にすがしき音あり。なにゆえに謡を求めん、梢悲しく妙の音奏でり」

左思のこの詩は、山中に隠れ住む仙人を探し尋ねて行ったとき、そこで眼にした大自然の美を描いたものである。たとえ楽器や謡いなどの人工的な伴奏がなくても、その実は言葉に尽しがたい、と。

山水に託されたそうした精神的、宗教的意味を、一番早く絵画に表現したのは、[南北朝時代]劉氏宋朝時期の宗柄(三七五――四四三)である。宗柄は幼い頃より山水自然を好み、宰相の地位を袖にしてまでも、荊山、巫山、衡山などの名立たる山々をめぐった。年老いて歩けなくなると、[湖北]江陵にもどって、かつて遊んだ山々を自分の部屋の壁に描き、床に横になって眺めては楽しんだ。

彼はこう述べている。「心澄まして、世のことわりを見極め、臥してここに遊ばん」また「琴をかき鳴らし、山々の隅々にその音を響かせん」と。これこそが、有名な「臥遊」 の説である。
彼が著した「山水を描くの序」は、中国で一番古い山水画論である。この書物のなかで、彼は 「暢神[のびやかな精神]」の説を提案し、山水画の創作は画家が自然の形象の力を借りて自らの境地を表すプロセスの一つであること、を強調している。つまり「風景を借りて感慨をのべ」「風景に感慨を託す」ことである。

中国の山水画が代々最も重視してきたのは、「気韻の生動」ということである。この言葉は、南斉の謝赫『古商品録』という書物において触れられたのが一番古い。

いわゆる「気韻の生動」とは画面に一種のリズム感をもたせ、生き生きとした躍動を与えることを指す。このようにするために、山水画ではとりわけ大気についての表現を強調し、薄いカーテソをかけたような雲、霧、煙、水分などの生気ある描写を通して、景色の遠近感や空気の透明な感じを際立たせるのである。

こうして、西欧のパースペクティブ(遠近法)とはまったく異なる、中国山水画独自の「高遠で深遠、かつ雄大[平遠]な」パースペクティブを作り出した。しかも中国の山水画は色の使用にひどく謹厳で、伝統的な水墨を使うのが圧倒的なのである。

唐代張彦遠が、『歴代名画記』において「墨の使い方によって、五色を準備する」と指摘しているのが、いわゆる「墨は五色に分ける」 ことである。水墨の黒白、濃淡、深みによって、自然のさまざまな色彩や色合を表現すること、これを大切にするのである。

写真芸術は、絵画に比べてその歴史は極めて短いものである。写真技術が発明されてから今日まで、僅か百五十年前後にすぎない。一八三九年にパリのフランスアカデミーが、写真芸術の研究成果を公表して後、それはたちまちヨーロッパに広まり、中国や日本などアジアの国々にも、速やかに伝わっていった。「世界文化」の一つとして登場したといえるだろう。

とは言っても、美的観賞の文化としてみれば、それぞれの地域、民族の伝統的な美意識に左右され、影響を受けることは、疑いの余地がない。アメリカの写真家、巨匠アンセル・アダムズの作品からは、彼の写真芸術とヨーロッパ風景画との共通点を明らかに見すことができるだろう。つまり、光と影のそれぞれの色合のレベルに対する精密な描写、被写体の質量感に対する丹念な形象化、構図や色合にいたるまで。それは、西欧風景画と同じ胎内から生まれ育ったもので、ともに大自然に対する忠実な表現なのである。

写真というこの芸術手法によって、どのように、東方の人々の自然や山水に対する、あのような宗教的色彩を帯びた崇拝の感情を表現するか。どのように、東方の人々の魂の奥底にある、幻想に近いあのユートピアの景色を表現するか。このために私は十数年の研鑚を積み重ねて試みてきた。

ここで私は思い切って、一つの新語「山水写真」という言葉を作り、通常よく見られる一般の風景写真と区別したい。「山水写真」は実質上、精神的イメージの写真で、東洋人の心に映る心象風景を描く「山水写心」である。それは東方の人々の、ユニークな視線と美的情緒によって、自然を観察する。中国水墨山水画の雄渾による心境の描写や「三遠[高遠、深遠、平遠]」のパースペクティブなど伝統的手法によって、自然を描く。こうして、東方の人々が慣れ親しみ、憧れてきた、神秘的で幻想的な色彩をもったイメージの風景が創りあげられるのである。

[代田智明訳]

☆☆汪 蕪生氏は写真家。八一年来日、日本大学芸術研究所、東京芸術大学にて写真表現について研修。その間横浜の勧行寺の襖絵を黄山の写真で製作し話題を集める。八八年秋には西武美術館の主催で写真展を開かれ、写真集『黄山幻幽』 (紀行文森本哲郎氏・講談社刊)を出版された。八九年三月より本研究所客員研究員。「写真芸術における東洋人と西洋人の美意識の比較」をテーマに研究を進めていらっしゃる。☆☆