茂木計一郎(建築家/東京芸術大学名誉教授)

1989.01.01「住宅建築」第166号


写し撮られた黄山の<気>

 

■書名:汪蕪生写真集 『黄山幻幽』

著者名:汪蕪生/文・森下哲郎

発行所:講談社

発行日:1988年10月14日

判型他:菊倍判104頁 3、500円

汪蕪生 〈ワンウーシェン〉 さんの黄山の写真をあるグラビア誌で見たのはもう6年も前のことである. 中国山水画の淵源を示す真景がここにあったのかと思った。 老松・奇岩もさることながら,それらを捲いて溢れ沸き上がる雲や霧の美しさ。千変万化の景観に魅きつけられた。今までに見た中国の風景写真とはちがっている,ここには「気」が充満し写しとられていると感じた。――そしてこれは“いける”と思った。というのは,当時ある寺院の襖絵をどうしようか,何を誰に描いてもらおうかと思いあぐねていたからである。 汪さんの写真を見てこれを襖に仕立てることはできないかと無謀なことを思いついた。それまで建築空間に障壁由を置くようなことを手がける横合もなかったが,もしできるなら障壁画は長谷川等伯の『松林図屏風』のような絵画がよいと,大それたことを漠然と考えていた。黄山の写真を使おうと思い,あらためて等伯の「松林図」などを開いて見た。

中国、とくに南宋山水画の影響をうけ室町水墨画を大成した雪舟,やがてその後の画人たちにより禅寺のみならず各地へと広まり水墨画の日本化もおし進められた桃山時代にあって,その頂点立つのが長谷川等伯であり,その多くの画風の中でも傑出した代表作が『松林図屏風』であるとは,よく知られたことである。朝霧と思える大気のなかに姿をあらわす松林,思いきった濃墨から淡墨へと変化する驚かな諧調によって,手前の松は明確に気迫に満ちたタッチで描かれ,その奥の松は淡くシルエットのように浮かび上がり足元はかき消されて見えない。
しばらく空白の画面――大気が漂う――やがて背後の空白からふたたび松の木々がたち現れる。 墨の濃淡によって奥深さが暗示されその間の空気が感得される。 西欧的な透視図法のように事物を克明にとらえ奥行を示すものではなく,平面の重ね合わせによって空間を表現しようとする日本的画法の特性が鮮やかに示されている. 等伯にとっては大胆な構図をもって闊達自在な筆勢により描いた松の木々よりもむしろ,その間に漂う模糊とした大気こそ,この屏風画の主題であったと思う. その朝霧が画面から座敷にまで漂いあふれ来るかと思えるほど深遠にして生動する「気」の存在が,私にとっても障壁画としての「松林図」に強く魅かれていた心情である. またそれゆえに「松林図」が他のどの障壁画よりも空間的であり,建築空間にあっても自然に融和し緊張し得る絵画表現であると私は思っていたのである. 建築空間と一体となり静かな気品を横溢させ張りつめた緊張を感得させるためには,床の間に掲げられ観嘗する対象としての一幅の絵画よりも,障壁画は一層「気韻生動」する存在でなければならない.


汪蕪生さんの黄山の写真を見てこれを襖に使えないかと思ったことも,その画面にカメラをもって山の「気」を写しとろうとするものであることを直感的に感じたからである.

黄山は安徽省南部にあり中国の名山の一つとして古くから知られている. 一山孤峰ではなくいくつもの峰が連なる山並をなすが,自然と歳月により形成された奇々怪々の峰々に老松が茂り,その景観を捲いて沸き出る雲や霧が一瞬に造り出す情景は天下の奇景と称せられている.黄山三奇は“松”,“岩”,“雲”といわれるがとくにその“雲”が黄山の真髄であろう.広大な宇宙に陰陽二気が遍在しているとする中国の人たちは山にも山の「気」を見る. とりわけ山の気は「雲気」に示される. 気を帯びた雲こそ山には必須の要素である. したがって中国山水画において何よりも重視されるのは「気韻生動」,「気」が画面に充満して感じられなければ神品とはいえないといわれる. もとより黄山に限らず高山に雲霧を発する. しかし乾燥した厳しい自然の華北の山々よりも,湿潤な風土に育くまれた江南の山々においてより雲気は豊かである. 北宋の山水画が透徹した大気の中に荒々しい山容をリアルにとらえて描くのに対し,南末の山水画は模糊とした雲気の中に潤った風景を抒情的に描いている. のちに日本にもたらされて受け入れられたのは気候風土の似た南宋の山水画であったのも当然である. 南末の都、臨安(今の杭州)から西へ富春江を遡る,やがて新安江となって黄山に至る,まさに南宋山水画の淵源である. 古来黄山を描いた画家は多い. 明末清初の画僧石濤か精魂をこめた『黄山八勝画冊』は,いま京都の泉屋博古館に伝わる. そして日本の画家東山魁夷,加山又造,下保昭などの各氏によって描かれた黄山水墨画をわれわれは見ることができる. 現代画家をとらえて魅了する黄山神秘の世界は活き続いているのである.

安徽省蕪湖に生れた汪蕪生さんは,子供の頃から黄山の伝説によって大勢の仙人が棲む美しいところと聞かされ育ったという. 大学卒業後カメラマンになり初めて自分の目で黄山を見た.その時のことをつぎのように記している.

“生まれて初めて見る絶景に我を忘れた.千峰の翠が重なり,万谷が縦横に交わり奇松が至るところに散在し怪宕がずらりと林立している. それは立体の絵の如き.無声の詩の如き,人の思いをはせ人の心を引く. もっとも奇妙なのは雲と霧の千変万化の容姿である. ときに急して天海が一体となるがごとき壮麗さを托せる・・・・・・見た瞬間、体の中に電流が走ったように全身が熱くなり心が強く打たれた”.

それから汪さんは黄山にとらわれ.カメラをもって黄山の美に取り組んだ. しかし中国の一撮影記者としての制約は満足できる写真を得るには至らなかった. 自由な時間とフィルムを目ざして日本に留学したものの困難はつづいた. その苦境もようやく乗りこえて1984年ふたたび日夜あこがれていた黄山に戻り.山のすみずみまで歩きまわった. “断崖絶壁に攀じ登り,また何時間も万丈の深淵すれすれの岩の上に立ちあるいは枯れた松の樹に乗っていた.私はあたかも黄山の猿であった”  猿になって撮りつくした数百本のフィルムを東京に持ち帰って全部自分で現像した. 写真の印画は絵を描くのと同じように時間と労力のかかる仕事である. とくに岩や松とはげしいコントラストをもって微妙に漂う大気の白い階詞を見逃さずに定着するのは困難な作業であった. 感動してシャッターを押したその瞬間の絶妙な景観を暗室の中でいかに印画紙に再現するか、その作業に2年間を費やした. そしてようやくここに念願の写真展の開催と写真集の出版を果たすことができた.黄山の本当の魅力にくらべるとまだまだ力が及はないが.ある程度自分でも満足できる黄山の「気」に満ちた美しきを世に伝えることができたと汪さんはいう.

私は会場においてまた画集の中に,あらためて黄山の勝景に接することができた. 6年前に見た黄山の懐かしい印象的な山景は変らない.しかしその聳え立つ岩峰.妙なる枝をひろげる古松よりも,またしても微妙な諧調をもって移り.多様な気配をもって湧き上がる「雲気」が撮しとられていることに惹きつけられた.山容は泰然として動かない,雲霧はたゆみなく移る,奇岩は黒々と荘厳にそそり立つ,大気は白々と夢幻に流れる,その静と動を写す一枚一枚の写真は黄山の永遠と一瞬をとらえている.古来,水墨の山水画において永遠なる時間と移ろい行く一瞬とがひとつの画面の中に交錯し共存していることが本質的な特徴である. 奇岩・老松のみをとらえる風景写真をこえて.黄山の神秘をとらえようとする撮影者の「気」が対象と見事に溶け合っていることを知った.

そして会場には鏡面ステンレスの枠におさまった数双の屏風が展示されていた. 黄山の写真による現代障壁画の新しい成立である.汪蕪生がとらえた「気韻生動」が.いずれかの建築空間に深遠な「気」をもたらしているにちがいないと思った.

もぎ・けいいちろう/建築家,東京芸術大学教授