汪蕪生・インタビュー

1988.11.「KATABAMI」西武百貨店社内報 第263号


中国博 日中平和友好条約締結10周年記念

KATABAMI倶楽部

 

毎回好評のKATABAMI倶楽部、今回のゲストは、天下の奇観、山水画の故郷と言われる中国の峰、黄山に魅せられ、以来17年間黄山を写し続けている中国の写真家、汪蕪生さんです。池袋店で10月19日まで「汪蕪生写真展『黄山』」を開催し、高い評価を受けた汪さん。黄山のこと、芸術のこと、そして日本のことを語って下さいました。

山水画の風景は作者の想像だと思われてきました。しかし、本当にあるのです。それが黄山です

私が何故、黄山を撮り続けるかというと、1972年カメラマンになって初めて実際に黄山を見るチャンスに恵まれたとき、こんな素晴らしいところが世の中にあるのかと、電流が体の中を走ったように深く感激してしまったからです。昔から前山は仙人の住む、素晴らしいところだと教えられてきましたが、本当に“仙境”という感じでした。

山に登り、一日中写真も撮らず、ただ断崖の上に横になって寝ていると、上は手を伸ばせば触れられるような空、下には雲が流れ、自然と一体となったような、本当に自分が仙人にでもなったような気持ちになれます。

冬の黄山は山々に雪が積って、一面銀世界になります。そこに赤い夕陽が射すと、本当にきれいです。私は嬉しくて、撮影も忘れて、あたりを走りまわりました。もう童話の世界です。

昔から山水画や墨絵、日本画などで描かれている風景は、作者の想像で描かれたものだと思われていました。しかし、実際にそういう風景はあったのです。それが黄山です。

過去にも黄山を撮影した人は山ほどいました。中国で黄山をとったことのない写真家はいないとも言えます。しかし、その人たちの作品を見ても、私にとっては、満足のいくものばかりではありませんでした。私の中にある、黄山の美しさ、素晴らしさを日本の人、

世界の人に知ってもらいたいと思い、私は自分の一生を、命をこの山に注ごうと決心したのです。 

世の中には醜いものがたくさんあります。だから、人々は美しいものを追求するのです。黄山はまさに「美」です。黄山に行くと自分の醜い部分が洗い落され、純粋で美しい気持ちになれます。この美しい黄山をみなさんに知ってもらいたいのです。

黄山と並んで中国で有名な山に桂林がありますが、桂林は変化にとぼしく、黄山よりは面白味がありません。中国では黄山のほうがずっと人気があります。中国人の憧れだとも言えるでしょう。

私の中にある、黄山のイメージとは、白雲がかかり幻幽的な美しさを持っているのです。ですから、私の写真を見てもらえばわかると思いますが、私の撮る黄山の写真には、ほとんど雲がかかっています。ところが、黄山は気象の激しいところで、撮影に行っても、なかなかそうした光景には出逢えません。天気が良すぎて快晴だと、山石と松ばかりです。反対に雨ばかりで峰峰がまったく見えないこともあります。また、幸い雲や霞が出て、素晴らしい景色になっても、すぐに変化してしまいます。黄山は生きているのです。ですから「これだ!」と思う光景に出逢うまで、我慢強く待つしかありません。2、3カ月山の中にこもって、結局何も撮影できなかったこともあります。そうした変化の激しい黄山で、一番美しいと思った瞬間を、どのように自分の目でとらえ、カメラに写し込むか、それは自然との真剣勝負です。黄山は二度と同じ写真を撮影することを許してはくれないのです。

夢中になって撮影していますから、危険な目にあったこともよくありました。気がつくと崖の一番端、あと3センチで谷底に落ちてしまうようなところに立っていたこともありました。

芸術の根源は−つ演劇、音楽、映画、絵画、これらすべてに共通点があるのです

実は、私の大学の専攻は物理でした。高校を卒業した時には、まだ自分は何がやりたいのか、何に向いているのかわかりませんでした。そこで成績の良い人がみんな行く理科大学に、私もがんばって入ったわけです。ただ、絵を描くことが大好きで、大学を卒業するときには、友人などから絵を描くようすすめられました。しかし、とてもそんな自信はありません。そこで中国では絵画と兄弟芸術、姉妹芸術と考えられている写真をやってみようと考えたのです。

写真の勉強は、学校へ通い机の上でで習うことばかりではありません。技術的にわからないことがあれば、先生に聞きに行きますが、その他は自分でとらなければなりません。自分の目に映るものすべてが勉強です。テレビ、雑誌を見るのも勉強だし、博物館、展覧会へ行くことも重要です。また様々な人と話し、様々な人の考え方に触れることも勉強です。そうして勉強したものを、一度自分の中にとりこんで、そして、自分の個性を作り出していくのです。人のマネばかりしていては芸術とはいえません。まだ人がやったことのないことを、自分のやり方で表現しないと芸術ではないですよ。芸術とは創造力です。

私の写真は「現代の水墨画」だといわれていますが、私は絵を描くような気持ちでいつも写真をとっています。そして、東洋と西洋との美意識の違いは、水墨画の影響があるかないかだと思います。東洋の美意識の原点は水墨画です。わたしはこうした東洋の「美」を黄山を通して表現したいのです。

ただ、芸術の根源は一つだ思います。演劇、映画、音楽、絵画、これらはすべて共通点があるのです。例えば、一枚写真の中には音楽があります。旋律、メロディー、リズムがあります。

私は写真現像するとき、いつも音楽を流しているのですが、この間FMから流れていたビバルディーの弦楽四重奏は、私が黄山にいる時の気持ちにぴったりと合っていました。芸術の目指すところは一つです。ただ手法が違うだけです。絵は墨とか絵の具で、写真は光で、「美」を追求しているのです。ですから私はもし、作曲ができれば音楽で、絵が描ければ絵画で黄山の美しさを表現していたでしょう。芸術とは人間がつくり出すものだから、その根源は一つなのです。特に音楽はそうですね。いい音楽はアフリカ人が聞いても、中国人が聞いてもいいと感じます。芸術、美には国境はありません。

日本には経済大国にふさわしい文化大国になってほしい

私のなかにある美意識は、言うなれば、黄山から得た美意識だと思います。また、日本に来て、7年になり、日本の美意識にも影響を受けました。理論的にはっきりと言えませんが、日本の美意識とは日本画の美です。

私がいままで学び、自分のなかに吸収してきたこれらの美意識を使って、これからも美しいものを追求して行きたいと思っています。

もちろん黄山は死ぬまで撮り続けます。正直なこと言うと、今まで撮った黄山の写真は、私が感じた黄山の素晴らしさ、美しさを100%表現しきっているかと言えば、そうではありません。自分で点数をつけるとまだ50点です。これが80点、90点くらいになるまでは黄山を触り続けます。それには一生かかるでしょう。私のライフワークです。

それと今回の写真はすべてモノクロでしたが、カラーの写真もあります。来年は、カラーの写真展を開きたいですね。カラーであっても東洋の美、水墨画の美しさは表現できるんです。それをみなさんに知ってもらいたい。

黄山ともう一つ、私は人物の肖像写真が大好きです。肖像写真は黄山を撮影するのに非常によく似ています。人には様々な表情があります。その友情のなかで、一番その人の心を表わしている表情をとりたいのです。そうした肖像写真は大好きで、日本に来る前は中国の作家、画家、書道家などの肖像写真をよく撮りました。これもチャンスがあれば、撮り続けて行きたいですね。

今、日本は国際化が叫ばれていますが、文化的にはまだ国際化されているとは言えませんね。日本には経済大国にふさわしい文化大国になって欲しいのです。様々な国の人が日本で活躍できるよう国際化して欲しいのです。私は芸術家として日本でビザがとれません。これは残念なことです。日本は欧美対してあまりに寛容なところがあるように感じます。たとえ、三流の芸術家であっても欧美人であればいいというよな。それに対し、アジアの芸術家へあまり目を向けようとはしていません。ですから、西武百貨店がこのように私の写真展を開いて下さったことに大変感謝しております。

これから、もっとアジアの芸術家に目を向けて、日本に紹介していって欲しいですね。

 

プロフィール

●ワン・ウー・シ工ン

中国安徽省蕪湖市に生まれる。皖南大学 (現安徽師範大学)物理学科卒業1972年、安徽省阜南県文化館のカメラマンとなる。1973年安徹省新聞図片社、安徽画報社のカメラマンとなる。1974年、黄山を写しはしめる。「人民日報」「中国画報」 などに黄山の写真を発表。1981年、人民美術出版社より写真集「黄山−汪蕪生影集」を刊行。同年来日。昼間、日本語学校へ通い、夜は中華料理屋でアルバイトをする。1983年、国際交流基金研究員となり、日本大学芸術研究所で研修。1984年、再び、黄山へ。約l年半にわたり取材。以来写真制作に没頭。