汪蕪生

1982.2「アサヒグラフ」


中国5大名山をもしのぐ黄山に魅せられた写真家が、レンズと感材で、この山の絵姿を丹念に描き上げた 。これはもう「写真」というより、まさに「山水画」である。

写真と文 汪蕪生


幽雅にして無窮なる<仙境>


汪蕪生(ワン・ウー・ション)氏  中国安徽省蕪湖市生まれ。蕪南市の皖南大卒。73年より安徽画報新聞図片社カメラマン。作家、画家、書道家などの肖像象写真を得意とする。昨年暮れ、休職留学で来日。日本で写真を学ぶため、いまは中華料理店で皿洗いのアルバイトをしながら日本語の勉強中。なお、黄山の写真1枚のプリントを仕上げるのに40−50分かかる、という。

古来、仙人の棲むところは、必ず幽雅な山奥だとされている。はたして、伝説にいう仙境がこの俗界に存在するものだろうか。私は黄山に登るまでそれを信しなかった。しかし、その山頂にたどりついたとき、私は信じた。ここは確かに仙境ともいうべき別世界であると。

いかなる名画家、名作家の筆をもってしても表しがたいすばらしい山、それが黄山である。

黄山――それは長江中流の南、安徽、江西、浙江の三省にまたがり、数百`も続〈山岳の中にあって、ひときわ目立つ英姿を見せている。岩石の構造、岩肌もまた周囲の山々とは画然と違う独特のものだ。千峯なるというか、谷間は縦横に走って万谷あい交り、下界には雲が広がって大海原となる。それはまったく立体の絶妙なる絵画というべく、無声の詩をもって、人びとを仙境へと誘うのだ。

黄山は、四季を通じて雲、霧が多〈、瞬時に千変万化する。その容姿は無窮、ときにはひと筋の清泉が百折の迂回を経て緩やかに流れゆくかのごとく、ときには狂い逆巻く怒涛に似て滔滔たる潮のごとく、あるいは銀のしぶきを上空に打ち上げるがごとく、あるいは一望千里のなかに水煙を飛ばす滝のごとく、そしてときとして薄い絹のベールを払うがごとき軽やかさをもって、優美に尾を引きつつ大弧を描いて飄々と白雲を漂わせる。

対する奇峯の妙石は、彩霧の中、瑞雲の上にそそり立つ。万里の大海原は、あたかもそれを呑み込まんとするかのようだ。ときに急変して天海が一体となるかのごとき壮麗さを見せる。
黄山については、やはり「奇松、怪石、雲海」をたたえなければなるまい。これが、黄山のいわゆる「三景」である。

海抜千八百bの高峯によじ登り、そこにたたずむとき、私は時を忘れ没我にひたる。その瞬間、世俗の汚れから抜け出し、自然美の中で霊魂と思念を浄化きせるのだ。さながら仙境にあって息づくかのような気分である。

私は、このような黄山をいかに写具に表現するかに苦心した。黄山の雅麗な姿をありのままにとらえたい、と思ったのである。人はいうかもしれない、私が表した黄山は中国伝統の水墨山水画の世界だと。しかし、中国山水画の伝統的な構図法には限界がある。私は、そしたやり方を最終日標にはしない。

確かに、黄山は中国山水画の故郷として慕われてきた。その世界の大家である漸江、石濤、黄?虹なども、かつては長年黄山に住み、黄山を描いた。日本の東山魁夷先生もまた、唐招提寺を飾る作品のため、ここに入っている。

私の写真に山水画の影響が見られるという指摘は、その表現法に山水面家たちとの共通点があるためであろう。私はそれを否定しない。

中国明朝の文学者で旅行家としても名高い徐霞客は「五岳へ(中国の五大名山)をめぐれは他の山は皆目無聊、そしてまた、黄山に登ったあとは残る五岳も無聊」といい切っている。黄山の美は飽きるところを知らない。

私は、ぜひ日本の写真家が黄山の峯に立って、それぞれの個性でこの山をとらえることをおすすめする。各自が独特の手法と表現で黄山に迫るのは、まことに愉快なことではないだろうか。              

(訳=朝日中国文化学院学院長・秋岡家栄)